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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ナンチャッテ坊主の憂鬱 

2014/03/28
Fri. 08:50

久々に寺の用事で石見銀山と赤名高原を行ったり来たりしました。
街道は、やっと冬の気配が消えつつあるものの、一日中日陰のようなところにはまだ残雪があって、自然の厳しさを再認識します。
数日前に降った比較的大雨のせいで、岩山の斜面からは地下水からあふれた雨水が所々で勢い良く吹き出しています。

お檀家さんの事情なのであまり詳しいことは言えませんが、山里の小さな町から出雲市まで一家転住を決めたお宅のお位牌さんを遷座するためのおつとめに行ってきたところです。
そして、今日はその後半仏事で出雲市まで出かけます。
一つ家のアッチからコッチと云うわけにいかなくて、なかなか複雑な思いのまま2日にまたがったおつとめをすることになりました。

本当に本当に一個人の考えで、禅宗の坊主にあるまじきことかもしれませんが、このような様式というか儀式というか、見た目の所作で自分の心のわだかまりを軽減するような仏事行為が一連の宗教活動の中で重要なことであるのかどうか疑問を感じてしまいます。
一つの区切りとして気分的に安らぐのであれば、それはそれで意味のあることかもしれませんが、仏教本来の心のよりどころであったり精神の清浄であったり、安らかで慎ましい日常の営みの指針であったりすることは、このような表面上の表現にすがるだけではどうしようもなく浅いままのことだと思うのです。
無心に手を合わせるとか、普通に所作の中で頭を下げるとか、そのような日常のさり気なさに深く入り込んで基板を安定させることが宗教活動の本分だと思っています。
お彼岸のお寺参りとか、ご縁日のお寺参りとか、そのようなものは、一家の義務であるべきものではないはずなのです。
たとえは悪いかもしれませんが、お寺参りは選挙の投票のようなことだと思うのです。
一人一人が自分の意志で選挙会場へ足を向けることで、その国とかその地方の行政に自分の意志を使えることになるわけで、信心もそのようなものだと思うのです。
自分の悩みや主張があるから、坊主の説教も本気で聞けるのです。

・・・ナンチャッテね!

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