FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

しつこく追悼 

2014/03/29
Sat. 06:22

定期演奏会前のキーポンがインフルエンザに感染しました。
木管総崩れ状態で、ついに演奏会延期。
まぁ、これも仕方のないことで最善の策でしょう。
丁度当日のオヤジは数少ない万善寺の法事と重なっていたので、演奏会延期大歓迎です!
などと、人の不幸をノーテンキに喜んだりしているドーショーもないオヤジです。

さて、まだ水丸さんのことを引きずっています。
この際ですから、徹底的にマニアックにハマってしまおうと思います。

私がしつこく水丸さんのことを書いていたら、九州のiさんから久しぶりにメールが届いて、「あぁ〜、たまにこのつまらんブログ見てくれてるんだなぁ〜・・」と、ありがたくも気恥ずかしい感じに思ったしだいです。
そのiさんも水丸さんのことを好きだったようです。
↓(転記御免)
〜〜〜
安西水丸さんは残念でした。素朴だけどおしゃれなイラストはほっとできて、わたしも好きな作家でした。・・・今日の朝日に嵐山光三郎さんが追悼文を寄稿されていて、最後の一文はぐっときました。
〜〜〜
と云うわけで、叱られたらどうしようと、チキンオヤジはビビりながら朝日新聞より無断拝借です。
水丸さんに興味のない方はスルーして下さい。
↓(朝日新聞デジタルより)
〜〜〜〜〜
■嵐山光三郎(作家)
 三月十四日夜、立川志らくの落語会で、安西水丸が隣席に坐(すわ)っていた。「この歳(とし)になってなんでこんなに忙しいんだろう」と恨むような顔をしていうから、その話を今週の週刊朝日に「のんきなとーさんは悲しい」と題して書いた。水丸に同情しつつも、挑発してやろう、という気があった。落語会のあとは、タクシーで青山の水丸事務所まで送って、自宅へ帰った。水丸が鎌倉の家で倒れたのはその三日後の三月十七日で、十九日に亡くなった。脳出血だった。
 ああ水丸よ。酒飲みで、女好きで、人情家で、仕事一途で、せっかちで、好き嫌いがはげしい薄情の水丸よ。手品みたいに消えてしまったね。
 一九八八年二月、水丸と一緒にニューヨークへ行き、かつて水丸がマスミ夫人と暮らしていたアパートを訪ねた。古ぼけたアパートがあり、水丸が住んでいた部屋の窓に赤いバラの鉢があるのを見つけた。階段を上がると屋上のテラスにも冬バラが咲いていたが、葉は変色してしなびていた。そのとき水丸が作った句は、うろおぼえだが、
 《冬バラに冬バラの虫生きており》
 というものだった。真紅(しんく)のバラの花弁の奥を赤い小さい昆虫が這(は)っていた。
 水丸とはじめて会ったのは一九七一年で、水丸も私も二十九歳だった。ニューヨークのデザイン会社をやめて帰国し、私が勤めていた東京都千代田区四番町の平凡社へ水丸が入ってきた。たちまち仲良くなり、水丸の娘用に『ピッキーとポッキー』という絵本を作った。水丸はその原本を福音館書店に売りこんで、一年後に刊行された。いまもロングセラーとなっている。昨年十一月に、その俳句絵本を刊行して、一月に原画展をした。これから夏祭りバージョンを仕上げる予定だったが、水丸は「夏祭りは登場動物が多いからなるべく出演者を少なくしてね」といってきた。
 水丸、南伸坊、嵐山の三人で、小型の俳画カレンダーを作って、友人に配って十年余となるが、これも今年で終了となる。
 なにごとも始まりと終わりがある。あれも、これもと楽しかった日々の記憶が重なり、空漠の彼方(かなた)へ消えていく。水丸の絵は一本の線が、水平線となってピンと張られている。その線を崩して、うまくなってしまった手をなだめ、自在に動かして、見えざる天然へ預けようとした。水丸、という人名を書くだけで、うろたえ、ただ喪失のなかを漂うばかりである。
     ◇
 あらしやま・こうざぶろう 作家。1942年生まれ。平凡社「太陽」元編集長。『悪党芭蕉』(2006年)で泉鏡花賞・読売文学賞。安西水丸さんとの共著『ピッキーとポッキー』はシリーズ化されている。
〜〜〜〜〜〜〜〜

ある水丸さんの著書の最後に「言えることは人間はいつか必ず死ぬと言うことだ」とありました。
以上、追悼打ち止め!

IMG_5346.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/1554-725f15e6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2020-08