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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

「自由である」ということ〜後編〜 

2014/04/05
Sat. 09:33

夜更かしをしていると遠雷が聞こえてきた。
夕方には雨も上がって青空が見えていたから明日はきっと良い天気だろうと思っていたのに、4月早々の今ごろは正に「春の空」でなかなか明日の天気が予測できない。

そういえば、石見銀山で始めた現代彫刻小品展を浜田こども美術館へ展開した最初の年が丁度今の時期だった。
会期が始まってしばらく経ったあと、石見銀山から浜田への道中はまだアチコチで奇麗な満開の桜を見ることが出来ていた頃に想像を絶する春の嵐がやってきて、国道は斜面の岩盤に張り付く雑木の倒木で大変になっていたことを思い出す。

さて、「自由であること」の後編です。

ふり返れば子供たちへの「絵を描くこと」に〜自由であること〜を奨励推進したのは山本鼎の「自由画教育運動」であったと記憶している。
それ以前(といっても明治以降の近代日本の学校教育が形成されてからの数十年のことだと思うが)の図画教育は「臨画」を由としていた。
島根の片田舎は先進の学校教育から取り残されているようなところもあったらしく、大正生まれの万善寺のおかみさんも学校では「臨画」中心の授業で図画を教わったといっている。

それでは、あと少しで60歳の誕生日を迎える私はどうかというと少年の頃から絵が好きで、公私の境なくひたすらコツコツと草木や風景の写生や少年画報や冒険王などのマンガをいわば臨画に近い模写していた。
確か私より5・6歳年長の諸氏は、高校入学試験に美術科目もあって自分の手のデッサンなどの実技試験を受けていたはずで、ようするに、当時の学校では図画や美術教育はこどもの発達段階において今よりはるかに重要な科目であると認識されていたことがわかる。

何故このような昔のことを掘り返しているかというと、図画教育において「自由であること」をどう解釈するかを問いかけているからです。

以下、コピーペーストで前記した昨日の長文を細断したものに、自分の考えを付け足してみた。

興味の無い方々は、これから先は「無かったこと」ということでとばしてください!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○絵を描かなくなっているのではなく、『描かせる』『作らせる』のではなくなっているということ

これは、学校教育での指導の運用、もしくは方法論の問題。
今より昔、少なくても私くらいの年齢の連中がこどもの時は、色々な場面で今より「絵を描くということ」の機会が多かったように思う。
そんななかで、『描かせられる』とか、『作らさせられる』とかいう子供からの立場は、ある意味で表現の自由に対する適度な抑圧であり、その反動として「もっと自由に描きたい作りたい」という純粋な自己表現が芽生える。
子供なりにある種の達成感を繰り返し積み重ねることで、自ら「描きたい」「作りたい」という欲求を持つようになり、それが表現の成長につながると思っている。

○技術を教え込むよりも、モノをつくる楽しさや絵の具を塗った気持ちよさ等を感じさせる、表現する環境をつくってあげること

子供一人ひとりの生活環境の多様化をもっと考慮すべきなのではないか。
現代のように、多種多様な社会にもまれて暮す子供たちは、昔の田舎の学校のように1クラスのほとんどが親はお百姓さんでとか、漁師さんでとか、そういう環境ではなくなっている。限られた表現素材だけで授業を組み立てるなら、何処かのカルチャースクールと大差ない。
自分の周辺に限りなく多種多様の表現素材がどこにでも存在しているということが、表現する環境づくりには必要なのではないか。

○絵の描き方などを教えてしまうと、子どもは自由に表現できなくなってしまいます

正しい技術技法を正確に伝えるということは、子供の成長過程の重要な要素の一つだと思う。
表現の自由とは、それをお互いに素晴らしいとかつまらないとか認めあう評価があってはじめて機能するものなのではないのか。

○『上手い・下手』の基準ができてしまう

「上手いけど嫌い」とか「下手だけど好き」なこともあるでしょう。
その時はいくら下手だと言われても、それが好きなことならずっと頑張り続けられるし、下手だと言われてへこたれるのなら、それほどのものと思えばいい。

○絵を描くとき、かたちが狂ってもいい

形が狂っているということを自分で認識するほどの客観性を小さい時から身に付けないといけないと思う。
「私は3歳の時からピアノを習いはじめました」といっている子が全てプロのピアニストになっている訳ではない。
「バッハの譜面を間違って弾いてもいい」といっているようなもの。

○子どもは人間の体を描くとき、肩が描けないものですが、それを教えてしまうと、足し算や引き算を習わないで、いきなり微分積分を教えてしまうのと同じになってしまう

足し算や引き算を習うとき、子供のあたまでその理屈が理解できていましたか?
足し算や引き算を習いながら、少しずつその理屈を理解してきたのではないですか?
「肩」があるという造形上の理屈を正しく教えることの方が重要と思うんだけど・・

○『白いところを塗りなさい』『間も空なんだから、塗りなさい』と教師が言ってしまうこと

そんなことしか言えないような教師は勉強不足ですね。

○大人は「木は茶色と緑」「空は水色」と思い込んでしまうが、本当は何色で塗っても良いはず

「既成の概念」というヤツですね。
思考が老化するとそれが強くなりますね。
ヒョッとして、知らない間に「木は茶色と緑なんだよ!」と言ってしまっている自分がいたりして・・

○学校の授業だと「こうやって描くんだよ」と否定されてしまうこともある。すると、子どもが本当に描きたいものが何なのか、描きたくて描いているのかどうかわからなくなってしまう

「こうやって描くんだよ」という言葉には、否定だけでもない肯定もあるということを認識すべきなのでは・・
自分の考えていることを思うように表現できないでいる子にとっては、むしろ「こうやって描くんだよ」と技術を正しく教えてあげることが「適当である」ということもある。
そのあたりの助言は教師の教育力でしょうね。

○教師の役目は、教えることではなく、『ここキレイな色だね』『かたちが良いね』などと褒めること,認めてあげることが大切。子どもたちの創作意欲を引き出すことが重要

こんな考えばかりで子供の造形力や表現力は伸びないでしょうね。
「如何に感性を鍛えるか」ということがないと、感性の伸長は望めないのでは・・

○絵を描いても良いし、粘土や木を使っても良い。何を作っても描いても良い。一人一人が「めあて」を決め、「頑張ったこと、発見・工夫」を考え、他の子にアドバイスをもらうのではなく「良いところを見つけてもらう」ということ

まぁ、1日中・・せめて半日くらいまるまる図画教育出来るだけの時間割でもあれば何とか目標を達成できるかも知れないけど・・現実は机上の理論で終わるような気もしますが・・
学校の先生が教える図画と美術家が教える図画にはその密度において大きな差がつく。
正しいデッサンの出来ない先生は、正しいデッサンを教えられないでしょう。
『上手い・下手』はこう言う場面で使い分けるべきなのでは・・

○課題を与えられればやれるのに、自分が何をやりたいか気づけない子も多い

課題を与えられればやれるのなら、与えればいい。
何か与えれば、すくなくてもそのことが「やりたいこと」なのか「やりたくないことだったのか」気付く。
自分が何をやりたいか気づけないまま、時間を無駄にすることの方が無駄。

○『やりたいことを見つける』ことは、将来、社会に出ていくときにも、自分が目指す大人になるためにも、一番大切なこと

「自分が目指す大人」を分かるから「やりたいことが見つかる」のでは・・

○図工は実は社会の縮図

そこまで考えはじめたら夜も寝れなくなりますね。

○絵がうまくなるのが目的ではなく、『やりたいこと』を持ち、『自分が目指すもの』にいかに近づくかを考え、学ぶことが重要

絵を描く時は「まずは絵が上手くなることを目的とすべき」です!
絵が上手くなれば絵を描くことが楽しくなるはずです!
絵を描くことが楽しくなれば絵はもっと上手に描くことが出来るようになるでしょう!
そうすれば絵を描くことがもっと楽しくなるでしょう!

○「何を描いても作っても良い」。そんな環境で育った子供たちは、「好きなもの」「やりたいこと」を見つけるのが上手で、生きる力が強いのかもしれない

そればかりだとそれしか出来ない、それしかやらない、そればかりの我がまま者になるような気もするけど・・

○大人はついついテクニックやノウハウを教えたくなってしまうものだけど、それは子どもたちの自然な発達段階や「発見」を妨げてしまうのか

それが大人の経験値なのでは・・
こどもはそれをある種の憧れに感じる時もある!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あくまでもオヤジの身勝手で主観的な考えであるから、教育の現場で日夜こども達と向き合って苦悩している現場の先生方とは大きな考えのギャップもあるだろう。

ここで、私が言いたいのは、「自由」の解釈のこと。
「与えられる自由」は、はたして本当に「自由」といえるのだろうか?
むしろ「自由」の強要になっているのではないか?
そんなことを思う。
数ある困難から掴み取った「自由」こそ、本当の意味において「勝ち取った自由」と言える気がする。

ここまで長文に付き合っていただいた皆様・・ご苦労様でした。
夜も寝ないで、プチプチキーボードを叩いているオヤジは、それほど暇してると解釈していただいていっこうにかまいません。
もっとも、そのぶん現代彫刻小品展の要綱作成の時間が何処かに飛んでいっちゃったけどね・・

以上、本日のブログは4000文字近くのボリュームになった次第です。

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