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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ガラス戸 

2010/07/03
Sat. 09:01

梅雨の晴れ間を見つけて進んでいた庫裡の修繕も一段落。

40年ほど前まで板雨戸だったものを現在のガラス戸に換えたのは、Kさんの喜捨でした。
そのKさんは、すでに我が子へ後を譲って隠居暮らしでした。
自宅の周辺の雑用をくり返しながら暮らす一方で、万善寺のこともあれこれ心配していただいていました。

縁側の板雨戸をガラス戸に入れ替えることが当時流行っていて、気がつくと、寺を含めた数軒だけが戸板の景観を残すほどになっていました。
住職夫婦は特に不便を感じていた訳でもなかったようですが、せっかくの申し出だからと取り替えを薦めるKさんに甘えることになって今の景観になりました。
その窓ガラスは、昭和38年の豪雪や、何度か通り過ぎた巨大台風にも耐え、数年前、局地的突風の竜巻で蔵の屋根が吹き飛んだ時も奇跡的に被害を免れ、今に至っています。

この度の修繕でこの窓ガラス取り替えの話が出た時、老住職はKさんの話しを持ち出してそのまま残すことにしました。
「いただいた布施の気持ちを捨てる訳にはいかない」
というのがその理由。3分前の記憶もおぼつかなくて、都合の悪いことや、用事がチョット複雑に重なるとすぐに忘れてしまう老住職ですが、そのあたりの仁義だけはシッカリと通すつもりでいるようです。

IMG_7974.jpg

釈迦の頃から僧侶と在家は「布施」の心で繋がることで自らの務めを認識し、僧侶は修行に、在家は仕事にはげみます。
「財法二施(ざいほうにせ)」ということばがあります。葬儀や法事の席で施主にあたった方は坊主の口から聞いたことがあるかも知れません。
財施は生きるために必要な物を施すことで、法施は釈迦の教えを説くことを云います。
二つの布施の関係は僧侶と在家の心の繋がりの中で保たれ、お互いの信頼関係を築くことになっていきます。

隠居暮らしのKさんにとって、10枚ほどのガラス戸制作費を用立てることは容易ではなかったでしょう。
住職はそれをありがたく受取り、丁寧に使い続けていくことがKさんの喜捨に報いることと考えそれを目に見えるかたちに置き換えた訳です。

さてさて、これからいつまで守り続けられるでしょうか?荷が重い話しです。聞かなきゃ良かった。老住職を見習って「忘れた」と言いたい。

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