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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

寝不足 

2014/09/09
Tue. 08:45

錦織効果で寝不足のみなさんも多いことでしょうね・・きっと。
彼のおかげで島根県は急に注目されるようになりました。
たまにはこういうこともないとね・・・

年齢も鍛え方もヤルこともスケールもなんもかんもまったく接点のない吉田ではあるが、このところ、連日・・というより連夜、真夜中にゴソゴソ起き出してデスクワークにせいを出している。
その時間帯はWOWOWにかじりついている方々も多かったことだろう。

WOWOWというともうずいぶん昔、島根県に帰って10年くらいした頃に一度契約をしたことがある。
当時はBSもパラボラもまだまだ一般家庭へ復旧することもなく、電気量販店でも嗜好的製品だったような気がする。
チャップリンの黄金狂時代をテレビで観て泣いていたほど少年時代から映画好きで、それが大人になって落ち着くどころが、どんどんバージョンアップして、松江から東京へ上京した頃は、映画館と上映映画の多さに我を見失って、毎日のように予備校帰りはどこかしらの映画館へ入り浸っていた。
そのうち、案の定資金が尽きて、部屋代や生活費までつぎ込んで身動きできなくなって昼飯の金もないから、チョコチョコ顔を出していた喫茶店のマスターを拝み倒してアルバイトに使ってもらうことになった。
まかない飯の味はそれで覚えたわけだが、当時はどこでバイトしても飯代はバイト代から引かれることが常識だったから、一箇所で1ヶ月働いただけでは部屋代(最初のアパートは1ヶ月7500円だった)と生活費になる程度だったので、ピーク時は3箇所のバイトを掛け持ちしたりしていたこともあった。
そこまでしてテアトル新宿2本立て250円とか、ミラノ名画座2本立て250円とか、池袋文芸250円とか下北沢オデオン座とか・・・まぁ至る所の映画館をはしごしていた。
無料のチラシを集めて本編を思い出しながら一服する時の幸せだったこと・・・
そうこうするうちに、類は友を呼んで数人の映画愛好仲間が集まるようになった。
今思うと、私の青春絶頂期はたぶんその頃だった。
明日のことで思い悩むこともなかった。
今がよければそれで十分に満足だった。
映画でいうと、アメリカで広がったニューシネマ絶頂期の頃。
日本では仁義なき戦いが大ヒットしていた頃。
まぁ、そんな映画ばかり観ていたから自分の暮らしや考えもそちら方面に染まってくるのも仕方のないことだった。
一方、その映画狂いのおかげで、知らない間にデッサンや構成や色彩や空間や美術芸術の要素のほとんどを映画のフレームから教わっていたように思う。
それで、当時の先生とは意見や考えの食い違いとかが多くてけっこう偉そうにいきがっていた。
ほとんどの学生はきちんと美術書や技法の専門書で勉強しているわけだから、私など無知も良いとこで、知ってるつもり以下のレベルだったわけで、恥ずかしげもなくなかなか常軌を逸脱していたわけだ。
青春の苦い思い出の1ページってところでしょうか・・・

錦織フィーバーはアッという間に終わってしまったようだ。
WOWOWとユニクロが一人勝ちというところか。
島根も松江もサラッと忘れられるんでしょうね。

でも、準優勝だからね!やったね!

コンサート

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