FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

不殺生戒 

2015/01/27
Tue. 10:43

久しぶりに自分のことで使えそうな一日がはじまった。
いろいろやりたいことや、やらなければいけないことが溜まっているから、何処から手を付けようか迷ってしまう。
そんな時は、まず一杯のコーヒーから始めよう!
七日務めでいただいたお檀家さんの奥さん作シホンケーキをワイフにカットしてもらって、少し早めの朝のティータイム。
殺伐とした世間のことや、見て見ぬふりでスルーする田舎付き合いのことなど、その気になって突っ込みはじめるとなかなか厳しい現実に直面してしまうことも多々あるが、そのあたりを美味いコーヒーでゴクリと飲み込んでしまったところだ。

石見銀山と万善寺は銀山街道と出雲街道で結ばれている。
どちらも峠が幾つかあって難所も多いが、特に銀山街道の方は道の改良が遅れていてカーブもきつくて狭い。
そんな道をほぼ毎日のように行き来していると、アチコチに落石がある。
冬の間は、岩盤がむき出しの斜面にしみ込んだ水が夜のうちに凍って落石の原因を作る。
地元の住民はいつものことで慣れているから、路面の悪条件を予測しながら慎重に車を走らせる。
「落石注意!」道路標識も各所に設置されている。

さて、その落石注意だが・・・直近の免許更新で受講した講義ではじめてその正しい解釈を理解した。
「路上にころがっている落石に注意して走行してください!」ということで、「このあたりは落石が多いところだから、落ちてくる石に注意してください!」ということではないということだ。
もうずいぶんと長い間、「頭上から石が落ちてくるかも知れないから早く通過しないとね!」なんて思いながら運転していた。
なんとも曖昧な解釈の道路標識だが、結局は国土交通省もしくは日本国の都合のいい拡大解釈の逃げ道を作っているような気もして、素直に納得できないところでもある。

宗門のお経の「修証義」第三章に「不殺生戒」が出てくる。
元はお釈迦様のおことばを十の禁戒に整理して、その第一番目の禁戒として記されている。
この歳になるまで数えきれないほどおつとめしているお経のこの解釈を何の疑いもなく「殺生はいけません!」とか「殺生してはいけません!」とかそういうことだと思っていたが、じつはそれも間違いではないが誤りもあった。
やはり、在家坊主も片手間副住職のままでは、修行も何もあったものではないなと反省した。
住職になって葬儀の導師をつとめるようになって、授戒をし引導を渡す責任を担うと、いいかげんに曖昧な解釈のままで捨てておく訳にもいかない。
そもそも、人間も含め、この世に生きるもの全ては何かしらの生きるための糧を得ることは当然の営みとなる。
自分がこの世に生を受けた時から、殺生の御陰で成長し生き続けることが出来ている訳だ。
生きるために避けることの出来ない最小限の殺生を常に自覚し感謝しありがたく頂きましょう・・・ということが、食材へ手を合わせるという行為で表されている訳だ。

地球に生きるもの全てに唯一許されている殺生は、「生きるための最小限の行為」のみである。
我欲や執着(しゅうじゃく)で都合よく解釈の殺生は許されない行為なのだ。

IMG_4322.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/1859-7be47360
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2020-06