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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

小雨の万善寺 

2015/06/18
Thu. 21:42

龍雲山万善寺22世禅岳憲正大和尚の密葬が無事に終了した。
朝から小雨が降り続いていて、6月にしては肌寒い1日になった。
入棺のあと本堂の祭壇へ移動安座された憲正さんは、おかみさんと孫のじゅん君が夜伽をした。
朝になって本堂へ行ったら、じゅん君が祭壇前で寝ていた。

ワイフは、長男のじゅん君を産む時から里帰りしないで、ギリギリまで私の世話で主婦をしながら島根県の病院でお産した。
あとの子も全て島根県で産んだ。
あの頃は、私もかたちばかりの副住職を務めながら転勤族の公務員をしていた。
だから、吉田家の四人の子供は全て産まれた住所が違う。
転勤するたびにその土地で一人ずつ子供が増えていったことになる。
石見銀山で暮しはじめたのも転勤がきっかけで、じゅん君が小学校1年生に入学する4月から石見銀山で暮すことになった。
その時は、子供がすでに3人いて、生粋の石見銀山っ子はキーポン一人だけになる。

長女のなっちゃんは2月に産まれた。
大きな腹をしたワイフは、冬の寒い時期にまだおむつのとれないじゅん君を育てながらなっちゃんを産んだ。
小さな2人の赤ん坊を一緒に育てるのは大変なことだったから、少し落ち着くまで万善寺に暮すおじいちゃんとおばあちゃんにじゅん君を育ててもらうことになった。
色々事情があって、老僧夫婦には子供が私一人しかいないから、じゅん君を寺に預かってもらった時は、我が子のように・・というより、それ以上のかわいがりようで甘やかしながら育てたものだから、それに味を占めたじゅん君は、徹底的におじいちゃんおばあちゃんっ子になった。

今回の憲正さんの葬儀も、じゅん君にとってはとても大きなショックで、なかなか人の死を冷静に受け止めることができなくて、この2日間はおじいちゃんの思い出に浸り続けて他人を避けるように隠れながら暮し続けていた。
荼毘が終わって、安位のお経が始まって終わったらすぐに何処かへ出かけて、日が暮れて夕食前に寺へ帰った時は、長かった髪をバッサリ短く切っていた。
まるで、年頃の女の子が失恋した時のような感じだと、一瞬思った。
もっとも、私は男で女性の気持ちなどよくわからないし、この歳になるまで、ふられたことは限りなく経験していても女の子を失恋させた経験がないからわからないけどね。

老僧のいない夕食がもう1ヶ月以上続いた訳だが、老僧の密葬のおかげで久しぶりに万善寺の食卓が賑わった。
そして、なっちゃんが仕事に帰っていった。明日はワイフとキーポンが石見銀山に帰る。それからじゅん君が帰ったら、またおかみさんとに二人暮らしになる。
これからは、おかみさんが死ぬまで延々と老僧の思い出話を聞くことになるんだろうな。

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