工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

分身が欲しい 

2015/08/13
Thu. 23:27

2日続けて雨だった。
R54を中心に何度か横切ったりしながら20軒近くの棚行をすませた。
8月のはじめからスタートした棚行も、あと3日で終わる。
その後は、観音さんや薬師さんやお地蔵さんや馬頭さんや七面さんやお大師さんや・・・とにかく地域や集落に点在するたくさんの仏さんやお堂の供養法要が続く。
塔婆回向も何ヶ所かあって、これからしばらくは夜な夜な墨を擦って塔婆書きをする。
棚行はおわっても、まだ気が休まることはない。

憲正さんの時代までは、この夏の2カ月で半年の生活費をまかなう暮しが続いていた。
私も、小学校の頃から自転車でお盆のお務めを手伝って万善寺の家計を助けていた。
だから、世間の小学生のように楽しい夏休みを過ごすこともなく、中学生になり高校生になった。
中学校は今のように夏休みを部活で過ごすこともなかったが、それでも休みの後半になって20日を過ぎたあたりから学校へ行って溜まった課題や工作を片づけていた。高校は補習があったので寺の手伝いを休むことが多くなって、憲正さんの機嫌がすこぶる悪かった。それでも、いちばん忙しいこの数日は寺の手伝いが出来るように学校の日程を調整したりして、高校生なりに結構苦労していたことを覚えている。
今のように、結界君でチョイと其処まで・・・と、簡単にいく訳もなく、ギアチェンジもない普通の重たい自転車に乗って、遠くは20kmくらい離れた集落まで峠を二つくらい越えて行き来していた。改良衣や白衣は汗でグッショリだった。夕立が来たりすると通り過ぎるまで軒先を借りて雨やどりする。とにかく最悪の棚行だった。
こんなことが高校を卒業するまで毎年続いた。だから、私の少年時代の夏休みの楽しい思いではひとつもない。本当によくやったと、今は自分を褒めてあげたくなる。

仙台の七夕祭りや、徳島の阿波踊りなんて、生涯テレビでしか見ることがない。
「ボク、ビアガーデンへ一度も行ったことがないんですよぉ〜」
先月の本葬でお手伝いいただいた若い方丈さんが、ワイフへそんな話をしていたらしい。
吉田家の子供たちにはバカ受けだったが、私には彼の気持ちがよくわかる。
子供の頃から将来の坊主が決まっていて、そのレールに乗せられて大学もその筋に入学して卒業してそのまま僧堂へ安居して・・・そんな暮しではなかなか思いきって遊ぶことも難しい。
私は、少年時代の反動でその後の10年は狂ったように遊んだ。結果は、今の状況だから結局たいして偉い坊主にはなれなかったが、好きなことはトコトンのめり込んだし、それなりに手に職もついたし、片手間ながら自分のやりたい仕事も両立しているつもりだ。

久々にYouTubeを垂れ流していたら、Siaの新しいビデオクリップを見ることが出来た。
あの、例のかわいい女の子が少し大人に成長していた。彼女は、Siaの分身なのだろう。
ボクも、もっと若いボクの分身が欲しいな。
そろそろ、体力がついていかなくなって自分のやりたいことも出来なくなりつつある。
生まれ変わってもう一度人間になれたら、坊主にだけはなりたくないな。

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