工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

忘無可忘 

2015/08/16
Sun. 23:25

忘無可忘・・・憲正さんの遺偈の一節。
晩年の数年間は通院のお供で、色々な暇つぶしを二人で共有していた。iPodのクラシックを一つのイヤフォンで二人で聴いたり、ウエブ配信の観音経を聴かせてあげたり、通院の度に回転寿司へ寄ってポイントを貯めたりなどなど・・・それに私の愛読書から幾つか貸し出したりして、ほとんど会話の無いまま気持ちだけは共有していた。
憲正さんは、結構我がままで好き嫌いの激しいところがあって、好きだった読み物は週刊誌の政治記事。芸能関係やスポーツ関係はほとんど興味を示さなかった。それから、宗門の宗務所経由で届く会報はよく読んでいた。私の好きなSF小説や鬼平犯科帳などの時代小説は、文庫本を渡しても結局一行も読まなかったと思う。仕方がないから売店で週刊ポストなどを買って渡すと、小刻みにうなずきながら政治記事に集中していた。
膀胱結石で手術入院をした時、たまたま私のかばんに入っていた孔子さんと洪自誠さんの新書を渡しておいたら、大部屋の数日間はマメにその新書を見ていた。
読んでいたかどうかはわからないまま、10日の予定が1週間で退院になるまでは2冊とも移動式のテーブルに置いてあった。

その後も、ひたすら通院のお供が続き、御存知の如く、昨年末からいっきに老衰が加速し、この度の遷化に至った。
本葬の次第原稿をまとめるにあたって、憲正さんの遺偈があった方が良いというふうに関係の意向がそうなったのに、実は憲正さんは改まった遺偈など残すどころか、最後まで退院して生き続ける気満々でいたから、結局は、数年・・いや、10年は越えているだろう通院のお供の道すがら憲正さんの話の端々に出てくる幾つかの単語をまとめて、それなりの漢字や形に置換えたのは私だった。
「忘無可忘」の一節は、老人特有の物忘れが激しくなってきた憲正さんが、独り言のように助手席でしゃべっていたことによく似ていたから実は私が憲正さんの意を酌んで使わせてもらった。
たぶん、憲正さんが思い描いていた世界とは、解釈がかなり違っていると思うが、それでも表面上は似たようなことを私に向かって訥々と話していた。

「最近のことは何時までも憶えとられんけぇのぉ〜。ワシも歳だけぇ・・」
晩年は自治会を回ってくる回覧板でも憶えているのはせいぜいその日の半日程度だった。
そのくらいの状況だから、「忘れた方が気楽でいられることもいっぱいあるのに、その忘れた方が良いということも忘れちゃうよ・・」という「忘無可忘」の4文字が、あの頃の彼の状況にピッタリとはまっていた。
そういうこともあって、彼の意を酌んでまとめたのが、あの本葬の次第だった訳だ。

お盆の粗品を造った。制作時間をバラしたら叱られるくらいありがたみの無いいいかげんな作業で40枚ほど手ぬぐいを染めた。指の爪まで染まったから、すぐに色落ちすることもないと思う。それで、書いた文字が「忘無可忘」・・・いつまでもその手ぬぐいを見て憲正さんを思い出してほしいという願いがたっぷりと込められているのだが、さて、何時まで憶えてもらえるかなぁ・・

IMG_0733.jpg

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