工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

万善寺のお盆今昔 

2015/08/18
Tue. 23:50

刻のわれ鐘を撞き終わって、境内から参道へ向けて少し散歩した。
8月のはじめからスタートした万善寺のお盆も、本日の施食会と大般若会でひとまず峠を越えた。憲正さんの調子が悪くなってからしばらく休憩していた塔婆回向も再開して、西国三十三ヶ所の札所巡りの御詠歌を14番まで読みあげた。
お盆の先祖供養と大般若会転読祈祷法要と観音さま尊前の塔婆回向と、1日で3つの仏事をこなすなど、過疎地限界集落末寺の面目躍如といった掟破りの超弩級ウエスタンラリアート的法要といったところだ。

そもそも、私が万善寺で老僧夫婦と寝食を共にしていた中学生までは、これらの仏事を1カ月くらいの期間で3日に分けて行っていた。確かに、お参りの善男善女の方々にとっても、万善寺にとっても、似たような法要を3回くり返すことは結構大変なことであるということはよくわかるが、それはそれとして信心仏事として後世に申し伝えて行く意義は十分にある訳で、お参りが減って50人が20人になり10人が5人になり1人がゼロになっても、粛々と法要を続けて行くところが宗門坊主の大事な役目のひとつにもなっているのだと思っている。これらの仏事を、手間の具合と、お参りの減少を秤にかけて3つから2つへ、2つから1つへまとめようと仕切ったのは他でもない、万善寺のおかみさんであり私のママで、最初にとりやめた仏事が観音さま尊前の塔婆回向だった。
この塔婆回向は、実は憲正さんの坊主家業でもっとも得意とするもので、その謡の技は島根県下に広く浸透していて、ひと頃は同じ禅宗の臨済禅寺からも塔婆回向をお願いされたりして、1年中その手間でアチコチのお寺を巡りながら小さな万善寺の寺務収入の助けにしていたところもあった。大袈裟でなく、私の学費のほとんどは憲正さんが塔婆回向で稼いでくれたようなものだった。
取止めた年のことは、今でも何となく記憶している。
前年までの仏事が一つなくなったその日の憲正さんは、1日中とても機嫌が悪いまま、お盆の荘厳が終わった本堂で何をするでもなく漫然と過ごしていた。少年の私は、盆月の1日がまるまる自由になったことをとても喜んで、嬉々として朝から保賀川へ泳ぎに行った。
その後、その観音さま尊前の塔婆供養をしていた日は、お盆の連日で貴重な休日になった。

私が島根へUターンした年もまだお盆の貴重な休日のまま続いていたが、それから数年して、憲正さんは何を思ったか一念発起、その唯一休日へ夕方からの仏事をねじ込んで、赤来高原のほぼ中ほどにある集落に鎮座する薬師堂の祈祷法要へ出かけるようになった。薬師堂のある集落のお盆行事として、それまで曖昧に誰護るでもなく鎮座していた薬師堂の仏事を立ち上げたことになる。
その後、私が代行して薬師堂へお参りするようになるまで毎年嬉々として出かけ、般若湯をいただいて、夜の10時近くにいい気持ちで寺へ帰ってくるようになった。やっぱり、根っから坊主の憲正さんにとっては、四六時中何かしらお経を読んでいることがどれほど楽しいことであったのか、今にして何となくわかってきた気がする。
でもね、私は憲正さんのように楽しいだけではいられないけどね。やっぱり、それはそれ坊主も違えばやり方も考え方も違うわけで、色々つらいこともあるわけですよ。そんな訳で現在はお盆唯一の休日はすでに無く、万善寺の仏事はまだまだ続くのであります。

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