工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

彫刻三昧 

2015/09/22
Tue. 23:07

昨日で彫刻が一つ形になった。
最近は・・・というかこの近年は、彫刻を造る前の紙のドローイングをほとんどしなくなった。
面倒だからというわけでもない。
強いて言うなら、絵があまりにも下手くそだからかもしれない。
その下手な絵を描いても、どうもその絵から彫刻の形が想像できないというか、立体のスケール感が今ひとつ伝わってこないと言っていいかもしれない。
そもそも、絵を描くという行為は、彫刻を造ることの前段に位置しているものでもないと思う。やはり、絵は絵で彫刻には成り得ない。だから彫刻は彫刻で絵にはならないし絵ではないということになる。
現代美術は、平面と立体のボーダーが益々曖昧になっている。
全体をざっくり見渡すと彫刻と言ってもいいほどに限りなく立体的な絵画を見かけることはある。しかし、限りなく平面的な彫刻があっても「それは絵画である」とはなかなかいい難いほどそれは彫刻的であったりする。
・・・というか、勉強不足の私にはどうしてもそのような主観的な平面と立体の認識しかできないでいるということのようだ。

私の彫刻は(というか、彫刻と言えるかどうかもあやしい代物だが)面白いことに平面へチョークで自由曲線を手描きするところから始まる。
これは、一種のドローイングといっていいのかもしれないが、自分ではそのチョークで線を引き始めたところからすでに頭のなかでは立体が見えていて彫刻ができ始めている。
一枚の鉄板を何とかして有効に使って立体にするまでのパーツを描き出す。
場合によっては、10mmの寸法のミスが一枚の鉄板の無駄につながることもある。
彫刻を一つ造り始めると、初日のほとんど終日は数枚の鉄板にチョークで線を描いては消し描いてはまた消す作業が延々と続く。
なかなか形にならない時は、黒皮の鉄板が蝋チョークの無数の線の集合でそれこそ一枚の絵のような状態にまでなることもある。
雨が降ったりすると鉄板が濡れてチョークの線もつかなくなって収集がつかなくなったりもする。
いろいろな条件を飲み込んでやりくりしながらチョークの仕事を一通り終わると、描き上げた造形上の重要な線を頼りに、プラズマ切断で鉄板を裁断する。
それからパーツの一つ一つをひたすら折ったり曲げたり叩いたりしてまた1日が終わる。
一枚の板を叩き続けると、しだいに曲面が出来上がっていく。
この微妙な、その気なって見ないと確認できないほどの微妙な曲面がとても好きだ。
いつもなら、自分の気がすむまで、とにかく納得できるまで延々と鉄板を叩き続ける。
それが、今回はいろいろな条件の中で十分に叩き続ける事ができないまま次の工程に進むことになってしまった。
結局は言い訳にしかならない、弁解にしかならない、そういう程度のことなのだが、形になった彫刻を改めて確認して、やはり自分で納得のいかない消化不良のいくつかが気になった。
長い人生(もうそれほど長くもないけど・・)こういうこともたまにはある。

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