工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

喜心・老心・大心 

2015/10/08
Thu. 22:50

「喜心・老心・大心」という3つの心をいつもいつでも正しく意識して忘れてはいけないよ!・・・とは道元禅師さまのお言葉とされている。
だいたい、曹洞宗の坊主ならどこかで一度は聞いているし、そのことがどんなことであるか勉強もしているはずだ!・・・と、私は思っている。
ところが今になって思い出す限り、残念ながら私の乏しい修行経験の中では、その言葉をダイレクトに聞くことがなかった気がする。いや、ひょっとしたらどこかで誰か偉い方丈さんが説法されていたかもしれなが、とにかく記憶に無い。

私がまだ小学校に上がったばかりの小さい頃の、確か冬だったと思うが、今は亡き憲正さんが、珍しく寺の台所に立っておかゆを作ってくれたことをよく覚えている。
まだ、薪を使ったクドで煮炊きをしていた頃のことだ。
冷や飯に水を足したナンチャッテおかゆではなくて、お米から炊き上げた正当な(それが正当かどうかわからないけど・・)おかゆのこと。
出来上がったものは表面に糊状の膜が貼っていて、それをかき混ぜながらお茶碗についで、ひとつまみの塩とゴマをふりかける。
それだけのことだが、子供ながらに憲正さんのおかゆが抜群に美味かったことはよく覚えている。
いくら思い出してもその場面におかみさんが登場しないから、たぶん、きっと、おかみさんがひどい風邪か何かで寝込んでいたのではないか、そして、憲正さんがおかみさんのかわりに私のために食事を作ってくれたのだろうと、いつの頃からかそういうふうに思うようにしている。
憲正さんは、僧堂で修行中にそういう料理とも言えないような料理を覚えたのだろう。

前記の「喜心・老心・大心」は料理をするときの心構えとして、道元さまの「典座教訓」に出てくる。
典座とは、僧堂で修行中・・まぁ、くだけて言えば合宿とか共同生活中の料理当番のような役目のお坊さんのこと。
喜心は「喜びの心」で、食材に対しての感謝と料理を作ることの喜び。
老心は「慈悲の心」で、作る料理への愛情とおもてなしができることの喜び。
大心は「寛大な心」で、料理を通した作る人と食べる人の気持の通じ合う喜び。
これが、十分に心得られて実践されることが大事なのだというわけだ。
もっといえば、どんな役目であってもどんな仕事であっても、それら3つの心で接することが仏道修行に重要で、それを実践することが布教の根本でもあるということになる。

3つの心は、料理においてのみ重要であるわけでもない。これは、日々の暮らしにおいて自分の生業の全ての場面において目指さねければいけない目標の一つであると思っている。たとえば、私が彫刻を造り、彫刻展を開催することも正に自分の生業の目標として外せないことなのだ・・・と思っているわけであります。
私にとって、坊主は家業、彫刻家は生業・・・などといったら、同業の坊さん方から石が飛んできそうだね。コワイコワイ・・・

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