工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

美のボキャブラリー 

2015/11/17
Tue. 22:45

石見銀山から富山町へかけて梅雨の終りのような土砂降りが1日続いた。
締め切った旧富山小学校の2階で彫刻の梱包作業をしていると、生暖かい空気が充満して汗ばんでくる。
まったくおかしな天気が続いている。

ちょうど1週間前も似たような天気だった。
その時は、今日のような生暖かい風雨の中で仮通夜から荼毘までが過ぎた。
その一昼夜で今年の秋の紅葉がいっきに散った。
万善寺の裏庭は紅葉の絨毯を敷きつめたように変った。
このまま次の春まで捨て置いたら、やがて雪が降り根雪になって雪解けが来るまで下草の雑草が伸びることもなく過ぎていくだろう。
見た目の刹那に視覚的な情報を既成の概念と照らし合わせてその時々の常識に落とし込んで判断すると、前の日まで散々美しいと愛でていた紅葉が一晩の風雨で地に落ちた途端汚い枯葉に変って、それは美的な趣から薄汚いゴミに変ってしまう。
人間の感性なんて所詮そんなもんだ。
石彫作家の横山さんの彫刻を梱包しながら、そんなことを考えていた。
伊達冠石の酸化した表皮をわざと残した石肌が、磨き上げて鈍く光る手加工の痕と対比して奥深い味わいを見せている。
こういう何とも密度の高い彫刻を見ていると、平面造形のこねくりまわした技巧があざとらしく見えてしょうがない。
やはり、実材の本物の強さというのはそのあたりにあるのだろう。

ものごころついた頃からバカの一つ憶えで絵ばかり描いていたから、20歳を過ぎた頃には、もうほとんど絵を描くことに飽きていた。
その頃に出合ったのが金属の実材だった。
きっかけはアホらしいほど単純不純な動機で、まぁ、あの頃惚れてつき合い始めていた彼女と国立博物館で見た日本の伝統工芸の金属製品に起因する。
銅合金の地金で作った赤光する柿と、燻し銀のヘタ。
なめし皮のようにシットリとした梨子地鉄製のこぼし。
名工の打ち延べた吸い込まれるような波紋の名刀。
小柄の柄に施された銀の象眼。
・・・などなど、それら金属になんとも吸い込まれるような色気を感じた。
それからあらゆる金属に手を出していろいろ勉強して工夫してみたが、やはり一番身近で面白くて自分の感覚にしっくりきたのが鉄だった・・・というわけで、今に至っている。

自分の鉄の彫刻は、だいたいが錆は汚いものだという先入観でみられる。
「美」という認識は、それのボキャブラリーの多さに尽きる。
20歳そこそこで「錆の美」に魅せられた私は、それから延々ひたすら今まで「鉄錆の美」に魅せられながら彫刻を造っている。
見上げる紅葉だけが美しいわけでもない。地べたの紅葉だって十分美しい。

IMG_1442.jpg

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