工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

心みだれる 

2015/11/29
Sun. 21:44

石見銀山の自治会内にある妙見堂が数年前に再建されてから、毎年この時期に祈祷法要が行われる。
午前中は浄土宗の方丈さんがおつとめされ、午後は日蓮宗の方丈さんが祈祷法要される。
ワイフは朝からお斎の仕度で出かけた。
午後からは宗門教区寺院が集まって研修会がある。
それに出かける準備もあるので、私は午前の法要だけ参列して焼香を済ませて帰宅した。
仏事行事が幾つか重なって落ち着かない1日になった。

今回は声明や回向の勉強や確認の研修で、各寺院や教区の特徴などの意見交換が活発に行われて、有意義な研修になった。
それに、久々に数分間ほど座禅をした。
研修会場になったお寺まで石見銀山の自宅から三瓶山をひと山越えて約1時間の距離を移動してすぐだったし、山道の両側には2日前に降った雪が少し残っていて、走行中も結構緊張した。それもあってか、自分の吸う息と吐く息のバランスがうまく整えられなかった。
久々に耳鳴りが耳について意識を落ち着けることが難しかった。
耳鳴りはもう何年も前から絶え間なく続いていて慣れているはずなのに、こういう時になるとやたらと気になって仕方がない。
隣で座禅する方丈さんの整った息が聞こえてきたりすると余計に心が騒ぐ。
こういう時にあらためて自分の修行の未熟さを痛感する。
たった数時間のことでもあるし、年に一度のたまの研修も、日頃のダラシナイ暮しが少しは修正できるような気もして良いことだと思う。

すっかり暗くなった山道を引き返して石見銀山の自宅へ着いたら、早速クロが土間で出迎えてくれた。
ワイフはまだ帰っていない。ストーブをつけて昨夜の残りのつまみを温め直してまずは一杯。
研修の頭を整理してみると、やはり自分の立ち居振る舞いの乱れやだらしなさはそのまま坊主の品格に表れてしまうことを改めて意識できた。日頃の暮しの中で無意識のうちに自然に醸し出される所作の一つ一つに自分の人格を試されているような気がしないでもない。

もう30年以上も前のことになるが、島根県へUターンしてすぐの頃、それまで大学の研究室で至れり尽くせりの道具工具に囲まれて制作に没頭していた自分が、そういう整った環境の全く無い処へ放り出されて途方に暮れたことを思い出す。
何かしようにも、すぐには材料も無いところに加えて自分の手元にあるのは、必要最小限の工具だけの状態でこれから先いったい何ができるのだろうかと毎日が不安しかなかった。
自分の技量とか、デッサン力とか、そんなものにしがみついているだけでは何も具体なかたちにすることはできないということが身をもって分かった。
その時そこにある金槌一本で何が始められて何ができるか・・・
声明所作の一つ一つに乱れない美しさや品位を醸し出す技も大事だろうが、その元はやはり心静かに座することにあるということに改めて気付かされた一日になった。

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