工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

結果自然成 

2015/12/23
Wed. 20:22

もう少しでクリスマスだというのに絶不調に陥ってしまった。
もっとも、禅宗の坊主にはクリスマスはなんの関係もないんだけど、そこは結局キリスト教も同じ宗教であるという私の寛大な心でひとまとめにして1年の節目の一つにしても良いのかなと思っているところもある。
聞くところによると、アメリカの方ではクリスマスをHAPPY HOLIDAYSというようにしているのだとか。いろいろな人種やいろいろな宗教が集まる国の事情ということらしいが、私としてはなかなかいい思いつきだと思うな。仏教だってお釈迦様の誕生日を祝ったりしているんだけど、今の世間でそれを知ってるのは坊主くらいかもしれないね。昔は地域で賑やかに花祭りの行事をして宗派を超えて坊さんたちが集まっていたこともあった。どうも、最近は仏教というと冠婚葬祭の葬式専門請負所みたいになってきて、宗教家の端くれとしては複雑で寂しい思いをしているわけです。
さて、それではカレンダー原稿第2弾
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私ごとですが・・・
この歳になるまで・・いや、この歳になってもとにかく、やたらと多くの失敗をしてしまいます。物理的身体的な器用と感覚的精神的な器用とでは、おなじ「器用」でもその器用の意味がまったく違うと思うのです。「器用貧乏」という言葉がありますが、どちらかと言えばそれに近いことかもしれません。

「結果自然成」は、「けっかじねんになる」とでも読めばいいかと思います。
この言葉は解釈によっていろいろな意味が考えられます。「成」とは成功を意味したりもしますが、そうすると、「結果的には何をやってもまぁそこそこ成功するものさ!」というように、楽観的な解釈もあるでしょう。さて、どうでしょうか?
私は万善寺住職を引き継いだあとも彫刻を造り続けています。
方丈さんが彫刻を造っているのか、彫刻家が寺の住職を務めているのか、そのあたりの解釈は人それぞれでしょうが、私自身としては、坊さんでも彫刻家でもどちらでもなく、只の一人の人間がそこにいて、それぞれの役割を果たしているということなのです。
万善寺の日常は、そこで彫刻の制作をしていないという只それだけです。
工場で彫刻の仕事をしている時は、自身の修行と寺の作務を重ねあわせて過ごしたりしています。
島根県で小さな彫刻展を企画して開催している時は、これも布教活動だと確信して働いています。
それぞれ何をやっても成功の実感を持つことはありません。
むしろ、今の自分が何をしてきたのか、自分に何が出来るのか、そういうことが大事であって、それが目標になって頑張ることも出来て、結果はそのズゥ~~っと先にあって、自分の行為についてきているだけのことなのです。
ようするに、何もしなければ結果もないということです。
失敗を繰り返しても、それを恐れてなにもしないでいるよりはずっと良いことで、ひょっとしたらいつの間にかそれが人生の生きがいになっているかもしれません。

2016-10:11:12

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