工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

いちあいいちさつ 

2015/12/25
Fri. 21:12

物心ついてからこの歳になるまで、クリスマスを普通に過ごしたことがなかった。
改めて考えてみるとすごいことだと思う。
高校になってひとり暮らしをはじめてからも、クリスマスイブには何かそれらしきことをして過ごしてきた。上京してからでも、数少ない友達と過ごしていたり、数少ない彼女と一緒に過ごしたりしていた。
もちろん今のワイフも結婚する前から当然クリスマスを一緒に過ごした。子供が出来てからは、昨年のクリスマスまでサンタさんが毎年やってきて、それにお父さんサンタとお母さんサンタもいたから結構たいへんだった。
そして・・・今年は、キーポンの一人暮らしが始まって、30年ぶりくらいにワイフと二人だけのとても静かなクリスマスになった。
~~~~~~~~~~~~~~~
「あいさつ」は漢字で書くと「挨拶」になり、「押し迫る」というような意味で、語源は禅語にあります。
それに、それぞれ「一」がついて「一挨一拶(いちあいいちさつ)」となるわけですが、私が思うに、この「一」を付けるかつけないかで「挨拶」の真意に深みが増すかどうかというほどの大きな違いというか、重たい言葉になるような気がします。

人と人が相対してお互いに押し迫る・・・という行為に、強烈な緊張感を覚えるのです。
そこには、親愛を込めて「Hello!」と声をかけあうほどの軽さはないと思うのです。
そこには、修行の厳しさを超えてお互いの真意がわかりあえた時の喜びがあり、また、微妙な解釈のズレに新鮮な発見があり、その時の感情の深浅をつぶさに感じ取るほどの真剣な付き合いが含まれていると思うのです。

禅の道場でこのような師弟関係を維持しながら続く修行のことを思うと、今の我々にある「挨拶」がどれほど見た目だけの俗な言葉としてだけに使われているかがわかります。
地域の子供達に「みんなで挨拶をしまよう」などと学校教育で指導し、集団登下校があったりすると子供達は元気に「いってきまぁ~す」とか「かえりましたぁ~」とか叫んで使い分けたりしていますが、一人でどこかに遊びに出かける子どもとすれ違っても挨拶一つ帰ってこない。そういうことはよくあることです。
親や先生から教わらないと出来ない・・いや、教わっても出来ない子供達はいっぱいいて、それが当たり前で普通のことです。
むしろ、そこまで子供達に期待している大人がどれだけ日常で挨拶しているでしょう?

挨拶は上下のあるたしなみであってはいけないと思います。
相撲の取り組みのように、どちらも待った無しの阿吽の呼吸でぶつかり合うほどの緊張感が「一挨一拶」にはあると思います。
まぁ、そんなえらそぉ~なことを言っても、自分がどこまで本気で挨拶しているか怪しいものですけど・・・それに、「おはようございます!」に気合が入り過ぎても気持ち悪くておかしいですよね。
とにかく、ホドホドが一番。イザという時に出来るかどうかが大事なことです。

2016-1:2:3

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/2191-4e1c4434
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2017-06