工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

年の瀬の一日 

2015/12/27
Sun. 16:10

自分の人生でいちにを争うほどいろいろなことが重なった1年間だった。
まだあと少し残っているし、除夜の鐘をつくまでは気を抜くことが出来ない。

6月に遷化した憲正さんが急に調子悪くなって緊急通院したのが今年の1月1日だった。
こともあろうに、年明け早々から休日診療のお世話になって落ち着かない1年がスタートした。それから2月3月と徐々に体調が悪化して食欲がなくなり、5月までに2回の入退院を繰り返し、最後は一口も食べ物を口にしなくなってからほぼ1ヶ月して眠るように死んでいった。
本格的に腹をくくって看取り介護が始まってから約半年後の事だった。
その頃のブログを読み返してみると、憲正さんのことを心配しつつも、それを気にする余裕もないほどいろいろな用事が巡ってきて慌ただしい毎日を送っていた。

年の瀬の万善寺は、雪も消えて温かい。
今年最後の法事をつとめて、おかみさんの様子を見ながらしばらく付き合った。
この半年の一人暮らしもまだまだ慣れてくれなくて時折感情の乱れが高じて収集つかなくなることがある。それを心配をしてしばらく寺暮らしを続けていると、余計に世間との距離が遠ざかって私一人を相手に妄想の世界がどんどん大きく広がっていく。
おかみさんの生きるチカラというと、他人の世話にならないで自力に頼り過ぎるきらいがあって、益々それが意固地に固まってくる。
息子である私に対してもことごとく対抗意識をもって私の行く先々へヨチヨチとついてまわり、私の行動の全てに自らの主観的なチェックを入れてくる。もう体力も思考能力も、とても若いころと同じようには働かないことがわかっているはずなのに自分ではそれを認めようとしない。この半年の間、何度か福祉関係の職員さんに相談もしてみたがなかなか改善が見られないまま今に至ってしまった。

そんなおかみさんを振りきって石見銀山へ帰宅するとお昼を過ぎていた。
急いで改良衣から着替えて、冬休みに入って帰省するキーポンを迎えに行った。
途中、印刷が終わった来年の万善寺オリジナルカレンダーを受け取って、その他幾つかの用事を済ませながら予定より1時間ほど遅れてキーポンの待つ学生寮へ着いた。
ワイフのファンカーゴは、どうも私のドライブスタイルになじめないところがあって、長距離の運転をすると腰や膝が我慢できないほど痛くなってくる。
途中何度か休憩をはさみながら自宅へ着いたのが夜の8時半だった。

隠岐の海士町で働いているじゅん君も本土へ向かうフェリーに乗ったようだ。
石見銀山の吉田家が久々に賑やかになる。
そろそろ夫婦の二人暮らしの静かさに慣れてきた頃だったから複雑な心境のまま玄関を入ると、いつもは鳴きながら出迎えてくれるシロの姿が見えない。
突然のキーポン登場でビビリ上がってしまったようだ。
これから年末年始の約2週間、万善寺と石見銀山の往復を続けながら慌ただしい毎日を過ごすことになる。

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