工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

鉄の彫刻の旅顛末記その2 

2016/02/16
Tue. 21:57

倉敷搬入の後処理もあって、午前中がアッという間に過ぎた。
朝のうちは結構激しいみぞれが降り続いていたが、昼前に石見銀山の自宅へ帰る頃には雪がチラチラ舞い落ちてきた。
昼のうちから吉田家の自宅にいることなど久しぶりのことだ。
落ち着かない万善寺暮らしが長引いた関係でコマゴマしたデスクワークが溜まってしまっている。
3月の年度末までにまとめる必要のある書類もあるから、残り半日を自宅で過ごすことにした。外は雪も降って寒いしね。
最近のストーブの薪は切り倒して処理に困った杉をもらったので、それを使っている。
まだ生の木だが、杉脂がすごいから結構簡単に火がつく。すぐ灰になるけどね。
ストーブのおかげで吉田家リビングが適度に暖かくなったし、ワイフは夕方まで仕事で出かけているから、四畳半のデスクトップをストーブの近くまで移動した。

日本第一熊野神社は、その起源が役行者(役小角)によって紀州熊野から遷座されたということらしいから1000年以上の歴史があるとても古いタイプの聖域だといっていいだろう。
仏教の日本伝来以降、日本に古くからあった信仰の神と融合した神仏混淆の形態がそのままに残っている今ではとても珍しい聖域として結界を形成している。
現存の状態は、明治新政府の排仏棄釈政策で神社と寺院が分離されて、同じ境内地に熊野神社と修験道寺院五流尊瀧院として残っている。
普通全国のほとんどの神仏混淆は、仏教が切り捨てられて明治以降寺院は消滅し仏教衰退が加速していったが、この熊野神社の境内地は、見事に1000年以上前からの聖域がほぼ当時のまま残っていることに感動する。
万善寺が700年ばかりの歴史の中で、琴弾山山頂の神仏混淆聖域を起源にして今に至っていることを思えば、その規模は桁外れに違ってケシ粒ほどにチッポケなモノだが、元は役行者さんのあたりから始まった修験道や信仰にあったりするから、こうして万善寺23世智光正純坊としては何かしらのご縁を感じないわけにはいかないところなのであります。

早朝に熊野神社駐車場へ到着したあと、境内の一部を散策しながら拝見させて頂きつつ、この場所に自分の彫刻を置かせてもらえることの有難さを噛みしめた。
その後、宮司さんや氏子の受付け社務所職員のお姉さま方に手伝っていただいて、無事に彫刻を組み立てることができた。
宮司さん自ら軽トラを動かしていただいたおかげで、2tからの彫刻運搬も楽にできた。
「アノ彫刻は保険はいってますか?」
お昼のおにぎりを御馳走になっている時、唐突に宮司さんから質問をもらった。
熊野神社の境内は平地に広がっていて車や人の出入りがしやすいから、お賽銭やお供え物などの盗難が多いのだそうだ。
あれだけ大きくて重たい彫刻をもっていく連中がいたらたいしたものだと思いつつ、「さて、あの鉄がどのくらいの値段になるのだろう?」などと不届きな思いが脳裏をよぎった。
備前焼の狛犬の方が値打ちがあるに決まってるよね!

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