工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

猫の気楽 

2016/03/07
Mon. 18:25

通勤坊主が再開した。
本堂の西側壁面へ畳二畳を潰して納骨用の舎利棚殿を造り付けることにして、その大工工事が始まったからだ。
前住職の頃からお檀家さんの離散が少しずつ始まって、現住職である私の代になってからそれが加速している。
昨年には、ついに独居世帯で孤独死の葬儀をすることになってしまった。ひとまず、近い親族でかたちばかりの葬式をして万善寺墓地の空き地へ埋葬するところまでは進めたが、七日務めも割愛され、四十九日もかたちばかりのお経で済ましたことにして、あとは親族からの連絡も耐えたまま現在に至っている。
最近の仏教は、世間では葬式坊主程度の認識しか持ってもらえなくて、「仏教」の教典のことなどどうでも良くなってきた。だから坊さんはどちらかと云うと仏教と云うより仏事のことができればそれでOKと云うノリで付き合ったりされているような気がする。

そんなわけで、どうも新亡さんが粗末に扱われることが増えているようで、親族の身寄りが少なかったり絶縁になったり、場合によっては絶家になるようなこともあるだろうし、そういう立場の新亡さんを、かたちばかりでも寺でお守りできればいいかなと思って舎利棚殿を寄進することにした。
これから何年かかかって造作代を支払うことになる。

倉敷の飯尾ちゃんの個展会場には、可愛らしい猫のジュエリーがいくつか並んでいた。
吉田家のネコチャンズを思い出してしまいそうな小さな猫がショーケースの一角に鎮座していて、欲しくなってしょうがなかった。
とても今の自分にはそれを手に入れられるほどの余裕もないので、値札は見ないようにしながら個展の作品群を鑑賞させてもらった。

彼女も、数年前から親の介護をすることになって、それで実家の愛媛に帰ってきた。
彼女は、受験で上京してから30年以上も東京暮らしがつづいていて、そこを生活の本拠地にして世界各地に出稼ぎをしていたくらいだから、親の介護のためだけに愛媛へ拠点を移そうと決めるまでには随分と葛藤があったと思う。
とにかく、なんとかして自分が暮らしていくだけの生活力を持っておかないと、親の面倒を見ることなどできない。
私も彼女の同業に近いから作家としてものをつくり続けることで生活の糧を得ることの厳しさはそれなりに分かっているつもりだ。
財力のある人は、お金の力で親の面倒をどうにでも看ることができるだろうし、正に商売柄そういう現実をつぶさに目にすることも多い。
歳をとって死ぬにも死にきれないまま生きながらえて、その上我が子にも見放されて何処かの介護施設に放り込まれてしまう親の立場を思うと、複雑な気持ちだ。
私など、ある意味でそうすることなどしたくてもできない貧乏人だから、かえって諦めもついて自分で親の面倒を看ることが当たり前と思って暮らしている。
いつになったら、悩み多き人生から解放されてネコチャンズのように気楽になれるのだろう・・・

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