工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

舎利棚殿 

2016/03/15
Tue. 17:32

寿命(じゅみょう)は「いのちをいわう」
宿命(しゅくめい)は「いのちえをやどす」
短命(たんみょう)は「いのちがみじかい」
長命(ちょうめい)は「いのちがながい」
延命(えんめい)は「いのちをのばす」

命(いのち)一つのことに様々種々の思いが込められているから、こうしてたくさんの言葉が出来上がってきたのだろうなぁと思ってしまう。
あの有名な室町時代の禅僧一休宗純和尚様は、ある時大旦那から「この世で一番めでたい言葉を書いてもらえませんか」と依頼されて渡された軸に「親死(に)子死(に)孫死(に)」と書いて渡したら、「縁起でもない!」と、その旦那烈火のごとく怒った!・・という有名なお話がある。
他にも、一休宗純様らしく、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という一句もある。
そもそも、ほとんどの坊主というものは得度して授戒を受けているから、「生きながらにして仏になっているのだ!」ということになる。
まぁ、生きているうちから、それも得度が早かったりするとまだ少年のうちから「オマエはすでに死んでいる!」などと北斗のような怖いお師匠さんに洗脳されて生き続けていたりすることになる。
何をいいたいかというと、つまり、坊主ほど本気で身近に「命(いのち)」と向き合っている人(ひと)はいないということ。
現代では、世間のドクターの方が、坊主より「いのち」に近いところで「いのち」と付き合っているように見えるが、それは、あくまでも物理的肉体的な医療の付き合いであって、人が人と付き合っているだけのこと。
坊主は「人と仏の付き合い」をしているという根本が違っているわけだ。

先ほど、万善寺の舎利棚殿を掃除して本尊様や御位牌を遷座したりしばじめたところだ。
先日、この棚殿を造ってくれた工務店の社長がまだ50代の若さで亡くなった。
お子さんが比較的大きいからせめてもの救いになるかもしれないが、すでに引退して経営の全てを息子夫婦にに任せていたご両親の失意は計り知れないものがあるだろう。
訃報を聞いて、すっ飛んで枕経に出かけ、仮通夜をおつとめして、出棺荼毘が終わって、これから本通夜に葬儀が続く。
しばらく前から体調を崩して入退院を繰り返していらっしゃったようだが、仕事の話でお会いしている時は、そんな様子は微塵も感じなかった。

寿命、宿命、短命、長命いろいろあるが、延命には延命地蔵菩薩とか、延命観世音菩薩といった仏様がいらっしゃる。まだ現代のように医療が発達していない昔には、やはり、もう少し長く人として生きていたいという人々の強い願いが仏様を創りだしたのだろう。
「親死(に)子死(に)孫死(に)」・・・こうして、一休宗純様のお言葉には、なんとも切ない究極の幸せが秘められているのだなぁと改めて思うのは自分だけなのかなぁ・・

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