工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

山寺のいち日 

2016/04/16
Sat. 20:39

「今日もいい天気だなぁ〜・・」と思いつつ、「外仕事がはかどるだろうなぁ〜・・」と思いつつ、石見銀山から結界君をすっ飛ばして万善寺へ向かった。
7回忌の法事が2つと、50回忌が1つの計3つの年回法事をひとつにまとめて上げ法事をお願いされたので、それで万善寺へ急いだ。

施主さんは、先代が亡くなった時に代替わりをして今に至っている。
その先代の頃から、年回法事というと比較的サクッと済まされるようなところもあったが、代替わりのあとは、それが益々簡潔でシンプルになった。だからというわけでもないだろうが、このたびも法事の後は墓参を済ませてそこで解散。斎の膳は、現物支給だったり膳料だったりで法事終了となる。
私としては、今どきの事なので「こういうご法事も有り!」だなと思っている方だから、お互いに変にかたっ苦しい礼儀も必要がなくて楽に済まされるところがありがたい。それに、音信不通のまま年回をスルーしてしまう施主さんよりはずっと信心深いところも感じられて好感が持てる。
憲正さんのころは、なかなかこういう訳にもいかなくて、法事が終わって万善寺の庫裏へ落ち着くと、年寄り夫婦のお茶飲み話でさんざんの悪口が飛び交っていたものだ。
「最近の法事は全くやりかたがなっとらん!!」と憲正さんが愚痴れば、「アノ家のご主人はどぉ〜とかで、奥さんがナントカで、親戚の誰かさんはどぉ〜ちゃらだから、それでみんながアァ〜だコォ〜だ、云々・・・」などとおかみさんが追い討ちをかけで、それをつまみに二人でお茶をズリズリ飲んでいるような事が多かった。

そもそも、数ある宗教行事や宗教事情のたった一つの年回法事で家計を支えている田舎の末寺山寺の坊主というものは、どんな些細な仏事でもありがたく承ってハイハイと乗り切ってこそ、薄謝の収入に繋がって自分の生活の支えになっている訳だから、そういうありがたい仏事依頼は二つ返事でニコニコと請けあってナンボのもんだと思うのだ。
お経を触媒にして日頃の宗教観や人生観を自分の言葉で伝えられるし、それによってささやかながらの意志の疎通もはかられることが無い訳でもない。今どきの宗教活動はそういうこまやかな気配りの積み重ねで細々と継続できているようなところもあって、それはそれで大事な事だと思っている。

自宅前の石見銀山の町並みは、いつになく強い日差しが眩しかった。
ワイフが気を利かせてネコチャンズにリードをつけて朝の石見銀山へ遊ばせていた。
光のコントラストが夏めいている。
つい先日まで桜が咲きつつも肌寒い毎日が続いていた事がウソのようだ。
石見銀山の若いウグイスが鳴いている。
久しぶりに聞いた鳴声はずいぶんと上達していた。
そういえば、東京の一週間があったせいか、今年の石見銀山の春はいつの間にかアッという間に終わってしまったような気がする。
銀山街道のアチコチで水田にひかれた用水が光に反射して周辺の風景を逆さに写している。
島根県は、これから本格的に春の農繁期がはじまる。

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