工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

老人像 

2016/04/30
Sat. 23:18

連休に入ってからの2日間は、万善寺境内や参道の草刈りで過ごしている。
自分の身体が悲鳴をあげていて、肩がこるというより首筋が固まってしまって頭痛がひどい。
足も膝から下がガタガタで、一度座ると立ち上がることができない。
自分の肉体老化がかなり進行したと感じる。
まぁ、これから先今より良くなることもないだろうから、自分の心と身を上手くつり合わせて無理の無いようにつきあっていくしかないなと思っている。

おかみさんをはじめとして、今で云うところの高齢者、昔ながらの老人と付き合っていると、自分もいずれはアァ〜なっていくのだろうかと不安になる。一方では、今の彼等の言動が自分の近い将来の姿に見えていろいろと教えられる。
「あぁ〜なりたい」と思うこともあるし、「あぁ〜にはなりたくない」と思うこともある。
それも全ては自分の心がけ次第だと思うようにすると少し気楽になれる。

最近は「老人」ということばをあまり聞かなくなった。おかみさんのことでお世話になりつつある福祉関係や役場や病院の職員の皆さんは、たいがい「高齢者」といっているように感じる。自分が知らない間にいつの間にか世間が「そういうふうに云うようにしましょう」ということになっているのかも知れない。
そこでふと「敬老の日」って今もあるんだっけ?・・・思って、宗門手帳をチェックしてみたら、ちゃんと9月の祝日に加わっていた。あの頃は、ちょうど彫刻の制作で忙しくしている真っ最中だからもうかれこれ40年近くも本気になって「敬老の日」を意識したことがなかった。
改めて思うと、わざわざ「老いを敬う日」という祝日をつくった日本は素晴らしい国だ。
良い悪い含めて、老人の言動は若輩の手本になっているから、もっと老人を老人らしく尊重して大切にしようという人の優しさが感じられる。

「自分はどんな老人になるべきか!」などと、みずから老人になるための心がけを整理しておくことも大事なことかも知れない。そして、そう考えることで、老人になることを肯定できるし、目標とする老人像が具体的に定まってくる。
結局は、自分の身体が若い頃と同じように動くようなこともないし、そういう体力も無くなってくる・・・という事実を、如何に冷静に我が身へ受け入れるかということへの現実直視が重要に思える。こうして、毎日少しずつ続ける草刈りひとつとっても、自分の体力に正直につきあって、極力無理の無いようにつとめることで、仕事の継続につながるし、完成度のキープにもなる。若い頃と同じように、力任せに草刈り機を振り回すだけのものでもない。
それなりに壮大な我が身の老人像を模索しながら、せっせと草刈りにはげむ自分が愛おしくなった。
「明日も草刈りするぞ!」と我が身を奮い立たせながら帰宅していたら、法類寺のおかみさんが亡くなったという知らせが入った。
草刈りも2日ばかり休止で葬儀の随喜に努めることになる。

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