工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ノッチ帰る 

2016/05/12
Thu. 23:51

位牌の裏には昭和61年6月吉日建立とあった。
その年に吉田家長男のじゅん君が生まれているから、憲正さんはまだ現役バリバリで万善寺を盛り上げていた頃だ。
その頃の私は、万善寺から50分くらい離れたところで地方公務員をしながらワイフと暮していて、寺の手伝いをする時間もなかなかとれなくなっていた。それでも当時の地方公務員は今よりずいぶんゆるやかな縛りで、比較的楽に融通がきいた時代でもあった。

もう、あれから30年近く経ったわけだ。
位牌を建立された施主さんはすでに亡くなっているはずだが、万善寺では絶縁の記帳も見当たらないまま位牌堂の隅に並べられていた。憲正さんを受け継いでしばらく経つし、そろそろ自分で管理しやすいように本堂のアチコチを整理しはじめたところで、つい2カ月ほど前に、そういう有縁無縁の位牌を舎利棚殿へ移動したばかりだった。
じゅん君が産まれた年に建立された位牌が幾つかあってその一つだったからなんとなく覚えていたその位牌のご親族から突然電話があったのは先週のことだった。しばらくお墓参りもしていないし、自分も歳をとって次にお参りできるかどうかわからないから、兄弟姉妹と一緒にお寺のお位牌さんへもお参りしておきたい旨のお話だったので、せっかくだから日時を調整してひと声お経をおつとめさせていただきましょうということになった。
おつとめが終わって、用意した番茶をすすりながら懐かしそうに当時の様子をお話された。
お逢いするまでは、すでに縁も耐えているし、良い機会を見て御炊き上げでもしようと思っていてそういう話をしようと決めていたのだが、昔話を聞くうちに気が変った。
昭和が平成になった今の世の中、血のつながりと縁のつながりは別のものになりつつあるということを実感した。せめて自分の代だけでも、お位牌さんのご縁を繋いでおくことくらいはしておいた方が良いように思った。

吉田家のSNSが久しぶりに活発に賑わっていた。
ノッチが帰国することは本当のことらしい。オヤジとしては、べつに彼女のスケジュールの信憑性を疑っているわけでもないが、どうも素直に信じ難いところもあって、半信半疑のまま今に至っていたところもある。それでも、基本真面目なノッチの性格を考慮すると、今回の帰国決定も彼女なりにじっくりと考えて決めたことでもあるだろうから、それとなく疑ってしまっていた自分がいたことを反省している。
ノッチとは彼女が15歳になった時から別居している。10代の頃は1年に数回は石見銀山へ帰省もしていたと思うが、20代になるとそれも途絶えて、海外での暮しがはじまってからは憲正さんの葬儀で久しぶりに逢ったくらいのことだ。
父親としてはそれなりに心配でもあるが、だからといって過剰に干渉する気もない。自分の人生だし、自分の責任で正直に健康に生きてくれればそれでいいと思っている。
ワイフとのSNSの会話を見ていて、彼女が小さかった頃のことや、中学校時代の頃を思いだした。じゅん君やなっちゃんとは少しほど年齢に差があったから、小さい時はお父さんと一緒にいることもそれなりに多かった。甘えん坊の末娘キーポンには負けるけどね。
さて、当分の間日本で暮すようだし、このまま上手くいけば秋には東京で逢える筈だ。
オヤジ譲りの似た者のんべぇノッチと久しぶりに旨い酒が飲みたいものだ。

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