工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

山田さんの雲 

2016/08/01
Mon. 22:58

8月の朝は薄雲が広がってこの時期としては肌寒く感じるほど爽やかだった。
本堂は冷気が澄んでほのかに昨日の香の残り香が漂っている。
珍しく、うぐいすがしきりに鳴いている。春に比べたら節回しに随分余裕がある。
突然間近でカラスがガァーと鳴いてびっくりした。
保賀の谷の鳥達も、爽やかな8月の朝を楽しんでいるようだ。

お盆の案内を宛名書きを終わった封筒に詰めて飯南高原へ出かけた。
その頃には何時もの夏らしい日差しが容赦なく結界君に照りつけていた。
万善寺の檀家は飯南高原の広範囲に広がっていて、移動の時間がかなりかかる。50軒にも満たないお檀家さんの中で、4軒ほどがそれぞれの集落のどん詰まりにあって、そこから先は道も耐えて結界君でも入り込む余地もないようなところにある。
江戸以前の戦国時代の頃は、毛利と尼子の領土争いでお互いに最前線に位置したようなところだから、その関係もあって敗戦の民がひと目を避けるように暮らし始めた名残なのかもしれない。そもそも、万善寺の開祖さんも武将が出家して勧進した宿坊から始まっているから、何処かしらその伝手のような繋がりが今に至るまで残っているのかもしれない。

昼からは臨済宗の施餓鬼会があって、手間替え随喜で出かけてきた。同じ禅宗だし、山の中の集落に点在する寺同士だから臨済も曹洞も仲良くお付き合いをさせてもらっている。
お経の節回しに少し独特の癖があって、慣れるまでに時間が必要だったが、一度覚えたら比較的シンプルな所作が多いので、曹洞宗より楽な法要になっているような気もする。まぁ、それも好みの問題で、私が一人で勝手にそう思っているだけなのかもしれない。臨済宗もそれなりに厳しい修行がたくさんあるのだろう。

万善寺へ帰って本堂の隅で大衣をたたみ直したりしていたら、下から見上げる構造材で現代彫刻小品展に出品してくれている宮崎の木彫作家山田さんの彫刻「昨日の雲」を思い出した。
小ぶりの本堂の殆どの柱は欅で作られていて、他の寺のように檜が使われているところがない。構造上の丈夫なシナリを優先したからだろう、梁の部分は松材が多い。要するに高価な建材より、実用性や機能性を重視してギリギリの安普請で造られているということだ。縦柱にはアチコチにほぞ穴があって、その部分をハメ木してあったりする。たぶん、移築の時にアチコチからかき集めて再利用されたのだろう。
とにかく、部材のどうのこうのより、宗教的建築様式に裏付けされた本堂の荘厳な感じに山田さんの一木造の木彫が近い感じがして、ふと思い出したわけだ。
小品彫刻ではあるが、スケールの広がりをシミュレーションすると、それなりにシンボリックな彫刻にも見えて面白い。縦や横の比例とかバランスが色々工夫されて連作になったりすると結構面白い個展になりそうな気がする。
表面処理に多少工芸的な雰囲気が見え隠れしていて、それが少し残念なところだ。
決して工芸を否定しているわけではなくて、むしろ工芸の領域を尊重してるくらいで、だから変に中途半端な工芸らしさが現れてしまうところに彫刻としての表現の甘さを感じてしまうわけだ。やはり、工芸の作品の内底に引きこまれていくような素材密度はかなりのモノだ。彫刻にはむしろ外に向けて茫洋と広がる開放感を求めるべきだと私は思う。

IMG_2943.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/2412-f4d3981c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2017-06