工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

山陰二紀展へ行ってきた 

2016/08/02
Tue. 23:36

現代彫刻小品展で寺を留守にしている間に、春からの営繕で刈り込んでいた草が1m位まで再成長して丈夫な夏草に変わっている。
万善寺の営繕作務も色々あるが、年間を通してこの草刈りが一番手こずる。

おかみさんの老化とともに、数十年かけて築き上げた彼女の痕跡がどんどんはびこって原野から荒山に帰りつつある。それに、あれほど除草剤は使うなと厳しく言っておいたのに、私が寺を留守にしている間に境内のアチコチが茶色く枯れていた。
腰が曲がって手押し車で前に倒れそうな身体を支えて地面ばかり見てヨチヨチと歩いているおかみさんにとっては、庭の雑草が誰よりも気になって見えているのだろう。
鎌を杖代わりに移動してそのまま地面へペタリとお尻から座って目の前に伸びた草をめがけてその鎌を振り回す。刈り倒した草は自分の目の前に溜まらないように境内から石垣のすぐ下の用水路めがけて払い落とす。
狭い視界と浅い思考で行動するおかみさんのことごとくが寺の荒廃に繋がっているということに気づいてくれないところに悩まされる。

ワイフをはじめとして、島根県と鳥取県在住の公募団体二紀会組織員の絵画と彫刻の作家が集まったグループ展が米子市立美術館で開催されていて、今日が最終日の搬出日だった。この展覧会は隔年で島根と鳥取の会場を移動しながら30年位続いている。
彫刻はあまり会派にこだわることのない緩やかな拘束で出品を続けているが、絵画の方は秋の二紀展本展出品で入選入賞を目指す研究会の意味合いを強く含んでいて、委員を招待して講評会や批評会をしてなかなか熱心な勉強会になっている。

この山陰両県の二紀会メンバーのグループ展へ吉田家の二人が出品を始めた頃は、島根県の彫刻関係者はそれこそ吉田家の私とワイフしかいなかった。その頃は、1年に1回ほど二人の彫刻を車に積み込んで小さな子供を連れて鳥取市や倉吉市や米子市を訪問していた。
搬入陳列の作業が終わってから出品者が集まって慰労会をするのだが、あの頃は吉田家周辺に彫刻の作家が皆無だったから、その席での造形論や美術論がとても刺激的で楽しくてしょうがなかった。
その後、さまざまな都合で展覧会が夏の8月初旬の今の時期に移動した。8月というと、私の方は寺のお盆の寺務や業務がビッシリと詰まってしまうから、その山陰両県のグループ展から身を引いた。だいたい10年近く前だったと思うが、私の我儘な行為が若干の物議を醸すことになってしまったものの、彫刻の方はかえってサビ固まった蓋のネジが緩んで風通しが良くなって、今では他県や一般の出品者も増えて賑わいが増した風に感じる。

二紀会は、社団法人改定があったりして本部と支部の関係が明確化されてピラミッド型の頑強な組織に改変されたから、山陰のグループ展も今では二紀会山陰支部展として地域に周知されている。一つの組織の筋の通った方向がシンプルに明確になったわけで、それはそれとして良いことだと思う。反面、作品の方向性や組織業務の上下関係などの拘束も強まって支部の執行部や役員の皆さんは業務繁多で出費もかさんで大変だと思う。
まぁ、善し悪し色々あると思うが、昨今の疲弊した公募展美術団体にあって山陰グループの今後の発展に期待したい。

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