工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

坊主ギャラリーのこと 

2016/09/14
Wed. 00:40

キーポンが四畳半へ転がり込んでから寝苦しくてしょうがない。
ちょうど夏から秋に変わりそうなこの時期は、暑いのか涼しくなったのかよくわからないまま寝ていると、夜中になって暑くて目がさめたり寒くて目がさめたりして、体調の管理が難しい。
私愛用の抱きつき枕を占領して布団の真ん中で寝ているキーポンは、まだ小学生か中学生くらいにか見えなくてとても20歳前の娘と思えない。
その隣にはワイフがいて、その隣ではシロがワイフの腕枕で寝ている。
なんとも窮屈な四畳半だが、それはそれなりに家族円満であると言えるのかもしれない。
そろそろ保育実習も終わって、近所で頼まれているアルバイトも終わると、やっと後期の授業が始まって学業へ帰って行くから、それまでの辛抱だと思っていたら、長女のなっちゃんからワイフ宛のSNSが届いて、9月のお彼岸前後に仕事の出張も兼ねて帰省するらしい。
だいたい、この9月から10月にかけての時期は私もワイフも彫刻の制作で一番忙しくしているはずなのだ。こういう時に限って絶え間なく次々と家庭事情が色々変化していくことになって、まともに〆切りまでに彫刻が完成するのかそろそろ心配になってきた。

万善寺や奥出雲の暮らしから本格的に石見銀山の暮らしへ戻ってきて、そろそろ一週間が過ぎた。
現在の吉田家は、四畳半の隣の町並みに面したひと部屋が空き部屋の物置状態になっていてほとんど機能していない。
以前は、この部屋が彫刻やクラフト等のギャラリーになっていて、雨戸や障子をフルオープンして観光客相手の店にしていた。あの頃は、石見銀山の約800mの町並みに銀製品を扱ったクラフトや雑貨の店が10軒近く営業していた。その他にも土産物の店や飲食店もあって、世界遺産の観光地としてそれなりに賑わっていた。
吉田家も若干ながらその恩恵にあずかって、その日の食事代はまかなえるくらいにギャラリーが回転していたのだが、両親の介護が本格化して、やがて副住職の気楽な坊主家業から住職交代を経て本格的に万善寺住職を勤め始めると、ギャラリーのOPENも少しずつ不定期になり始めて、それまでのリピートのお客さんから苦情が出るようになってしまった。せっかくわざわざ吉田のギャラリーを目当てに訪ねてきたらcloseしていたというようなことが度重なると、「オマエ本気で商売する気があるのか!」と叱られてしまうのも当然のことだ。自分の都合でお客様に迷惑をかけることになってしまうから・・・ということで、結局その後しばらくしてから雨戸を〆切りにして今に至っている。
今もおばあさんの介護が続いているが、どう考えてもこれから先いつまでも彫刻の制作が出来るわけでもないし、やはりそれでもまだ身体が動く今のうちだったら、もう一度自分が造った彫刻やクラフトを展示できるように工夫できるのではないかと思うようになった。
今の世の中、とても自分の年金と田舎の山寺ごときだけで生活できるわけもないことだから、石見銀山の町並みに坊主が店番をするギャラリーがひとつくらいあってもいい気がするし、それで自分の暮らしに張り合いが出るかもしれない。
ワイフと二人でつつましくものつくりをしながら老後を楽しむことができるかもしれない。
そんなささやかな夢を描きながら、今日もヒマをみてコツコツと部屋掃除をしている。

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