工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

旅の空・・その2 

2016/10/13
Thu. 10:48

彫刻の陳列作業が無事に終わって、二紀展が始まった。
今年は、70回の節目を迎える記念展であったから、出品者はみんなはりきって、どの彫刻も力作揃いだった。

彫刻家吉田正純の鉄の彫刻は、制作中の幾つかの障害を乗り越えて見た目にはそういう痕跡も残さず見事にサビて野外会場の定位置へさり気なく落ち着いた。
自分の贔屓目かもしれなが、このところ年々いい感じになっていて、今のテーマにして数年前にスタートさせた連作のシリーズもなかなか面白い展開を見せるようになってきた。
自分の彫刻については、それをかたちに制作することでその時々の色々な思いを表現しているから、それをわざわざ別の表現手段にかえて伝えるのもどうかと思うので、よっぽどしつこく問いかけられない限り、制作の背景を自分の方からペラペラ語ることはしない。今までもそのノリで過ぎているから、これからも当分の間それほど多くを語ることもないだろう。

この近年は、自分でも気がついて自覚できるほど体力が落ちた。
だから彫刻はそれなりに出来ることを出来るように工夫していかないと、一定の安定した造形感を維持することは難しい。
島根のような田舎で細々と制作している周辺の彫刻家も、私と一緒になって必ず1年毎に歳を重ねているわけで、彫刻に対する心身の調整が少しでも狂ってしまうと、とたんに制作の意欲が失せたり組織(たとえば二紀会とか・・)への帰属意識が希薄になったりして彫刻の完成度が下がったり、時には、彫刻の制作そのものをリタイヤすることにもなってしまう。
一人の彫刻家の離脱は、周囲の彫刻家にとって色々な場面で大きな打撃になる。
制作そのものは個人の造形の追求であり表現であるから、お互いにそれぞれの彫刻感を尊重することは当然のことだが、やはり、造形上の完成度や表現の方向性や制作の技法技術の追求といった基礎基本は向上心や向学心の継続がされないと、制作者はタダの自己満足の世界にハマってしまってそれで固まって、それからあとは取り付く島も無くなって、そういう状態になると、結局は付かず離れず一定の距離をおいた作家付き合いしかできないことになる。

だいたいに、彫刻の制作などというものは、始めから終わりまで個人の出来事であって、そういう個人が組織だって何かしようとなると、それだけでなかなかに意思の疎通が難しくて、そういうことでドタバタとなってグッタリ疲れ切ってしまう。
私など、今までさんざん自由気ままに自分の思うようにしてきた。それでも、田舎暮らしの一人の彫刻家としては、ある程度の組織だった動きも個々人の制作の継続には大事なことだと思っている。
島根からの共同搬入出も、組織的に行動できていることでそれに参加するそれぞれの彫刻家は随分助かっていることもあるはずだ。今年は、個人の事情が幾つか同時に重なって、共同搬入出に3名が欠席となった。心身の安定と融通の効くスケジュール管理は彫刻の制作に欠かせない大事な要素の一つだと思っている。

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