工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

同窓会in大阪 

2016/10/24
Mon. 11:15

先週末は来島中学校の学年同窓会で大阪だった。
来島中学校は、確か私が学生で東京にいる頃、隣の赤名中学校と統合して現在の場所へ移動した。
当時の中学校は、木造2階建ての校舎で、職員玄関を入ると、広いたたきの土間があって、左側すぐに事務室を兼ねた職員室、右側に幅広の踊り場でL字に曲がった階段があった。一学年が最低80人はいたから、250人規模の学校だった。
中学校のすぐとなりには、高校と小学校があって、小中学校のグランドを全部使って町民体育大会をする時は、地域の住民が一斉に集まってくるし、出店も開店してとにかく賑やかで活気があったが、今はその校舎も無くなって当時の面影はない。
中学校を卒業すると、隣りにある高校へ相当倍率の受験を勝ち抜いて周辺の3つの中学校を卒業した生徒が入学する。
当時は、まだ中学校卒業で都会へ就職する生徒がいた。それに、進路指導や保護者面談を繰り返して、島根県内の大きな普通高校や実業高校へ受験を振り分けることでそれぞれの中学校が地元高校への進学率100%を死守していた。私はすでに寺の息子で、自分の意志関係なく両親から「お前はこの寺の住職になるんだから・・」と事あるごとに呪文や真言陀羅尼のように繰り返し洗脳されていたから、進路希望で自分の意志を聞かれることが無いまま、主役不在の高校受験をした。浄土真宗の跡継ぎも同学年にいたから、彼も私と似たような条件で志望校が決まった。将来坊主になって地元へ帰ることがわかっているから、少々遠くの高校でも受験させておけば地元の高校が入学しやすくなる・・・くらいの認識で学校と保護者が決めた高校受験だったと思う。
商家の子は商業高校で、農家の子は農林高校で、大工さんや自転車屋さんの子は工業高校で、寺の子は普通高校といった具合で、中学校を卒業した同級生は島根県内へ散らばっていった。
それぞれの進路へ別れて、高校を卒業した頃から、なんとなく近場の同級生が盆正月に集まるようになった。就職して社会人になって日本各地へ散らばってしまうと、それからあとは、誰かが本気で同級生をまとめるようなことでもしない限り、結局散り散りバラバラに収集がつかなくなって同窓会の案内をすることもできなくなる。私の学年は、運良くそういうマメな事務屋が何人かいたから、たとえば10年の節目同窓会とか、たとえば同窓生名簿の作成とか、連絡網が比較的活発に機能していた。私も、根無し草でアチコチブラブラしていたのが落ち着いてくると、幹事団の誘いに同席するようになって今に至っている。
世間では、早い者は定年を迎えて退職する年齢になって年金暮らしに入るようになったから、ここらでひとつけじめの同窓会をしようということになって、いきおい大阪グループが動き始めた。島根の山奥で暮らし続けている地元組が多数を占めるものの、一方で、東京や大阪に定住した連中も多いし、嫁に行ったおばちゃん連中は、嫁ぎ先の事情も色々あるだろうからということで、ほぼ中間地点の大阪集合となった次第。
早朝にチャーターバスで島根組が出発して、お昼過ぎに大阪入りして若干観光した後、大阪組が用意した会場へ到着。その後は、とにかく盛り上がりっぱなしで一次会が終了。そこで若干解散組が去って、残留組は二次会から三次会。私はもちろん、最後の最後までキッチリ勤め上げて、翌朝大阪から東京へ移動して、これから彫刻搬出作業であります!

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