工房むうあと鉄の手仕事
鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。
教室個展〜本池文乃〜
2016/11/14
Mon. 11:42
飯南高原は、さわやかな秋空が広がった。
11月に入って、農繁期も少し落ち着いて、そろそろ年末も近づいて慌ただしくなる少し手前のチョットだけ気持ちが緩やかになった頃になると、万善寺の檀家さんが一気に法事を始める。
だいたいが、寺の仕事で年間のスケジュールが決まることなど片手でもあれば十分なほどの数しか無くて、あとはお檀家さんの都合でその日その日を調整していくしかない。
まぁ、そんなわけで土曜日から日曜日にかけて3つの法事を済ませた。
さすがに日曜日の夕方に石見銀山へたどり着いた頃は、もうグッタリとして何もする気になれない。坊主はジッとして動かないのが仕事のようなものだから、この2日間で完全に身体が固まってしまって、立つも座るもそのチョットした動きで身体のアチコチに痛みが走る。やたらとウンウン唸っていると、キーポンが珍しく背中を押してくれた。背骨がボキボキ鳴ってヨダレが出そうになった。それから、腰のあたりには常備薬のサロンパスをペタペタと貼ってくれた。持つべきものは優しくて可愛い娘に限る!
土曜日と日曜日は富山の小学校教室展を観ることが出来るようになっている。前記のような事情で受付が出来なくなった。それで急きょ、教室個展の竹田茂氏と内田紀子氏がそれぞれ1日ずつ受付代行してくれた。来場は2日で7人。昨年はゼロの日もあったから人口400人静かな山間の町も、この彫刻イベントで少しほど認知され始めたのかもしれない。
そもそも、児童数が減ったからという理由で廃校になったような小学校のことだから、一般的にそういう地域は、世間に忘れられてしまっているといってもいいくらいのところだ。そういう、誰も来ないような場所でわざわざ彫刻のイベントを企てるというところからして物好きなものだと思われても仕方がないことだ。一方富山には、そういう彫刻に縁がなくて現代美術のカオスにハマることのない限りなくピュアな世界が広がっている訳でもあって、私には、そちらのほうが狭苦しいギャラリーや堅苦しい美術館がひしめく都会の文化街に比べたらずっと魅力的に見えてしまうのだ。
本池文乃氏は、鳥取の出身で、島大の新井研究室を経由して、現在は鳥取の確か中学校で子供達に美術を教えているはずだ。山陰のグループ展で彼女の絵画をはじめて見て、何かしら面白い方向性のようなものを感じて個展の声をかけたら、しばらく悩んだ末にOKの回答を得た。回答までの停滞した時間は、新井氏をはじめとした研究室やその周辺の友人諸氏に個展の相談を繰り返していたのかもしれない。
結果的には、今回の教室個展で今までにない表現の方向性が出たような気がして、面白い会場が出来上がったと私は感じた。この表現が今後どのように展開していくのか楽しみでもある・・・ということは、今回の個展は、まず造形作家の第一歩というあたりか・・
わからないなりに、ジタバタと何かを組み立てていれば、そのうち何かがひらめいて形になっている・・といったあたりがまずは大事なことだ。汗もかかないで机上の理論を組み立てて崩してばかりいても結果は見えない。まずは行動するということが大事なことで、それで掴んだ方向性もあれば、それで失敗した表現もあるはずだ。
これから彼女には造形表現の分からないことがたくさんつきまとってくるだろう。その悩み事の開放が次の表現の厚みに変わればいいことだ。





11月に入って、農繁期も少し落ち着いて、そろそろ年末も近づいて慌ただしくなる少し手前のチョットだけ気持ちが緩やかになった頃になると、万善寺の檀家さんが一気に法事を始める。
だいたいが、寺の仕事で年間のスケジュールが決まることなど片手でもあれば十分なほどの数しか無くて、あとはお檀家さんの都合でその日その日を調整していくしかない。
まぁ、そんなわけで土曜日から日曜日にかけて3つの法事を済ませた。
さすがに日曜日の夕方に石見銀山へたどり着いた頃は、もうグッタリとして何もする気になれない。坊主はジッとして動かないのが仕事のようなものだから、この2日間で完全に身体が固まってしまって、立つも座るもそのチョットした動きで身体のアチコチに痛みが走る。やたらとウンウン唸っていると、キーポンが珍しく背中を押してくれた。背骨がボキボキ鳴ってヨダレが出そうになった。それから、腰のあたりには常備薬のサロンパスをペタペタと貼ってくれた。持つべきものは優しくて可愛い娘に限る!
土曜日と日曜日は富山の小学校教室展を観ることが出来るようになっている。前記のような事情で受付が出来なくなった。それで急きょ、教室個展の竹田茂氏と内田紀子氏がそれぞれ1日ずつ受付代行してくれた。来場は2日で7人。昨年はゼロの日もあったから人口400人静かな山間の町も、この彫刻イベントで少しほど認知され始めたのかもしれない。
そもそも、児童数が減ったからという理由で廃校になったような小学校のことだから、一般的にそういう地域は、世間に忘れられてしまっているといってもいいくらいのところだ。そういう、誰も来ないような場所でわざわざ彫刻のイベントを企てるというところからして物好きなものだと思われても仕方がないことだ。一方富山には、そういう彫刻に縁がなくて現代美術のカオスにハマることのない限りなくピュアな世界が広がっている訳でもあって、私には、そちらのほうが狭苦しいギャラリーや堅苦しい美術館がひしめく都会の文化街に比べたらずっと魅力的に見えてしまうのだ。
本池文乃氏は、鳥取の出身で、島大の新井研究室を経由して、現在は鳥取の確か中学校で子供達に美術を教えているはずだ。山陰のグループ展で彼女の絵画をはじめて見て、何かしら面白い方向性のようなものを感じて個展の声をかけたら、しばらく悩んだ末にOKの回答を得た。回答までの停滞した時間は、新井氏をはじめとした研究室やその周辺の友人諸氏に個展の相談を繰り返していたのかもしれない。
結果的には、今回の教室個展で今までにない表現の方向性が出たような気がして、面白い会場が出来上がったと私は感じた。この表現が今後どのように展開していくのか楽しみでもある・・・ということは、今回の個展は、まず造形作家の第一歩というあたりか・・
わからないなりに、ジタバタと何かを組み立てていれば、そのうち何かがひらめいて形になっている・・といったあたりがまずは大事なことだ。汗もかかないで机上の理論を組み立てて崩してばかりいても結果は見えない。まずは行動するということが大事なことで、それで掴んだ方向性もあれば、それで失敗した表現もあるはずだ。
これから彼女には造形表現の分からないことがたくさんつきまとってくるだろう。その悩み事の開放が次の表現の厚みに変わればいいことだ。





[edit]
この記事に対するコメント
トラックバック
| h o m e |