工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

一杯のコーヒー 

2016/11/18
Fri. 05:55

四国から帰った次の日、深煎りしたケニア産の豆をミルで挽いて遠藤さんのお初コーヒーカップで飲んだ。

ほぼまる1日の休み無い移動が続いて、最後の打ち止めが彫刻の荷降ろしとなると、ジジイオヤジはさすがに朝から頭も身体も思うように動かなくて、こういう時は苦いコーヒーでも飲んでシャキッとしたいと思いつつ、少し前に森山さんから頂いたツヤツヤと焙煎の汗にまみれたコーヒー豆が思い出されてしょうがなかったが、ワイフのいない間に勝手に一人で一杯やったりして後でこっぴどく叱られるのも嫌だなとグッと我慢して夕方を待った。
となりの改築中の大工仕事の音も絶えて、石見銀山の町並みの外灯も点いて、そろそろキーポンをピックアップしたワイフが帰ってくる時間を見計らってミルを挽き始めた。ツヤツヤと光る豆の油でミルのギヤが軽く回る。とてもいい香りが手元から湧き上がるように漂ってくる。

コーヒー好きが始まったのは、新宿通りに面した紀伊国屋の入り口から入って、その真裏のあたりにあるDUGと、そこからまた一つ歌舞伎町よりの靖国通りに面したところにあるDIGに入り浸り始めてからあとのことだった。
高校を卒業するまではどちらかというと紅茶派で、味もよくわからいままあの四角いキューブ状の缶入り紅茶をその日の気分で3種類くらい交互に飲み分けていたりした。当時はコーヒーというとネスカフェのインスタントくらいしか飲んだことがなくて、本当の旨さを知る機会がなかった。それでコーヒーの旨さに目覚めたのは、上京してしばらくしてから知り合ったバイト先の青山学院の先輩に連れられてその2つの店に入り浸るようになってからだった。

追求すれば茶道の如く奥深い何かもあるのだろうが、自分の場合、どうもそのあたりの堅苦しいところが壁になってなかなか一歩踏み込むことをしないまま、一杯のコーヒーに付き合っているようなところもある。今となってはそれなりに長い付き合いにもなっているから、嗜好の変化が少しずつ定まってブレが少なくなってきた。それを決定的にしたのは島根に帰ってしばらくして知り合った萩焼の友人に教えてもらってたどり着いたお店で飲んだメキシコ産の豆をブレンドして深煎りしたコーヒーだった。あの時の一杯のコーヒーの味は今でも覚えているほどの衝撃だった。その後、色々と豆を試したが、やっぱり自分には汗をたっぷりかいた少し苦目の味が合っているようだ。

森山さんのコーヒーは、深焙煎の豆をネルドリップで温めのお湯で蒸らしからじっくり時間をかけて少しずつ落としていく。こういう具合は茶道の煎茶道に近いノリを感じる。
臨済宗ほどでもないが、そもそも禅宗の寺はお茶にうるさい。それに島根の出雲地方は不昧公の影響もある茶処で、子供の頃からお檀家さんのおばあさんのマッタリとした煎茶道に付き合ってきた。
コーヒーにも、場合によってはそういう道を極める程の世界があって良いのかもしれない。森山さんのコーヒーを遠藤さんのカップで飲みながら味わうひと時は至福だ!

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