工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

自分の都合 

2016/11/30
Wed. 23:58

夕方に訃報が入った。
広島県の北部にある盆地の町に暮らすお檀家さんからだった。
電話口の声が震えている。
日課にしている介護施設への訪問から帰宅して直ぐに危篤の連絡が入ったのそうだ。
もともと若い頃から病弱だったおばあさんが、もう5年くらい前から身体の自由が効かなくなって弱る一方だったからご親族が相談されて施設への入所を決めたのだそうだ。娘さんは母親の介護もあって自宅から遠くへ離れることも出来ないまま、ほんの5分位ほどの距離を毎日施設通いが続いていて、その日もいつもと変わらないおばあさんの様子を確認して帰ったたった5分の間に容態が急変したらしい。結局、親の死に目に会えなかった悲しみをこらえつつ、親族への連絡や葬祭場の手配や菩提寺へ伺いをしたりと、全ての大事なことを一人で乗り切られた。すぐにでも枕経でおじゃましなければいけないところだが、夕方から夜にかけての慌ただしい時に、その上坊主の相手もするとなるとむすめさんの気持ちも落ち着かないだろうと考えて、一夜明けた今日の早朝に枕経をおつとめすることにして出かけてきた。
1年もそろそろ終わろうという時期に、喪主家では気の休まらないまま年の瀬を迎えることになった。人の生死は世間の都合で決まるものでもないから、私のようなナンチャッテ坊主でもそれなりに何時何があってもおかしくないことを承知で腹をくくっているところもあるが、一般在家の皆さんはなかなかそういうわけにもいかないのだろう。結局は、自分の都合が先に立って、仕事のやりくりがつかないだとか、遠くに離れて暮らしているからとか、体調不良で付き合いが難しいとか、色々な言い訳が飛び交って収集がつかない様子が見え隠れする。この近年私の周辺在家では、一生に一度しか巡ってこない故人との死別のことで個人の都合を優先するという掟破りの殺伐とした家族親族のつながりが普通になってしまっている。万善寺方丈は、これから週末にかけて一人導師の緊張が続く。

アッという間の1日が過ぎて、ワイフの帰宅を待ちながら葬儀絡みの寺務をしていたら、番号不明の着信が入った。てっきり葬儀関係のことだと勝手に思って電話に出ると、いやに若気な青年の声が喋っている。すぐにはその状況を把握できなくてしばらく無言が続いた。「先生ですか?ボク◯◯ですけど・・」電話の声が不安げに再度問いかけてきた。
今年の春から「先生」と呼ばれるようになっていつも楽しく授業させてもらっていたから、そこからたぐってやっと声の主に心当たりがついた。
「今度、ボクは木彫をしたいんですけどダメですか?準備してもらいたいんですが・・」
前回の空間造形もなかなか面白い作品に仕上がっていたし、今週末にある授業の時間までに材料などを用意することを約束して電話を切った。
いま時の高校生事情はどういうふうなのかよくわからないが、同じ自分の都合でも彼のような前向きな都合の伺いは大歓迎だ。
一日中、なんとなくモヤッとしていた気持ちが晴れた。

亡くなったおばあさんは、万善寺先代の憲正さんと同じ年だった。病弱な身体で必死に生き抜かれた。昼のうちから難航していたおばあさんの戒名が彼の電話のお陰でスルリと決まった。

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