工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

万善寺の年末 

2016/12/30
Fri. 23:47

毎年のことだが、この近年は特に万善寺の年越しが忙しい。
分かっていることだからもっと早くに準備を始めたら良いことなのだが、どうもそういうわけにいかないところもあって苦労している。
それでも、天は私に味方してくれているようで、年末の数日を好天にしてくれた。
ほぼ1日かけて本堂の掃除や荘厳を済ませて、年始会の法要準備も出来た。
お参りの檀家さんはだいたい20名くらいだが、参列の席を用意したりすると狭い本堂がより狭くなって窮屈に感じる。

前住職の憲正さんが病気で寝込むようになってから、庫裏のひと部屋にベットを入れて病室代わりにした。それが今からかれこれ30年ほど前で昨年に遷化するまで続いたから、それまで盆正月の法要で檀信徒会館代わりに使っていた万善寺の田の字の庫裏はいっきに使い勝手が悪くなって今に至っている。
今は母親がその部屋に陣取っていて私の動静をチェックしている。

成人した吉田家の子供達は、そういう状態の万善寺の庫裏で寝る場所を探すのも厳しくなったので、オヤジとしては無理に寺で正月を過ごさなくても良いように、それとなく振る舞って彼らに伝えている。
住職の立場としては正月には正月なりの寺の法要もあって、一般在家のように寝正月を決め込むようなことは出来ないし、むしろこういう時期のほうが忙しくしていたりして落ち着かないこともあるから、身内のゴタゴタで気遣いをすることがなくて助かっているところでもある。
憲正さんが元気だった頃は、お檀家さんもたくさんお参りがあって、年始会で日が暮れるまで大酒を飲んで、庫裏のアチコチで囲碁将棋や花札まで始まっていた。台所ではまかないお手伝いの近所の奥さん方が料理や雑煮を作ったりしながら酒のカンをしたりして賑やかなことだった。
少年の私はそういう時の居場所がなくて、唯一の避難場所は仏壇の隣りにある押し入れだった。小さな山寺に生まれた子供の宿命のようなものだと諦めるしかない。
そんなわけで、ボクにとってのお正月は、非常に憂鬱なのであります。

昔は万善寺の裏山に赤松が密集していて、松竹梅の若松を採取することは容易だった。それが、松くい虫の被害にあって全滅したものだから、その後の若松探しに苦労している。
今年は梅の若芽を探すのにも苦労することになった。こちらの方はイノシシが原因。万善寺の周囲はイノシシの餌場と遊び場になっていて、夕方になると何処からか獣の匂いが漂ってくる。
簡単にとれるのは竹。これはむしろ山が荒れて竹林が広がってしまったといったほうが良いだろう。
松竹梅は、あまり早くに準備すると正月のうちに枯れ萎れて無苦しくなる。
松は石見銀山近くの粘土山からいただき、梅はイノシシの遊び場からいただき、竹はその辺の1本を切り倒した。
今日の好天はとても助かった。

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