工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

おくればせながら・・・ 

2017/01/07
Sat. 22:20

みなさま・・・おくればせながら・・・
明けましておめでとうございます!
本年も変わりませず、どうかよろしくお願いいたします!

昨年末から苦戦していた年賀状が宛名書きも終わってやっと完成いたしました。
これから、ワイフにバトンタッチで、最終チェックをいただき、来週早々に発送させていただきます。

年頭の挨拶程度のことだが、やはり1年の区切りでもあり、気持ちの切り替えにもなるし、惰性になってはいけないと思っている。今後も、体力と精神力の続く限り年賀状は作成し続けるつもりだ。
この近年は、喪中はがきが増えてきた。私の年齢のこともあるだろう。自分の親の世代が高齢になって、死期が近づいてきたということも考えられる。実際、私の父であり師匠でもあった憲正さんも2年前に老衰で遷化した。憲正さんと同い年の隣の家のおばあさんも昨年末に老衰で亡くなられた。万善寺のお檀家さんも2軒ほど亡くなられたが、これも概ね老衰の大往生であった。
お葬式のご家族も、招待を受ける菩提寺も、人生を全うされて往生された方のお葬式は、どこかしら気持ちがおだやかでいられる。あの一休宗純大和尚さまの名言に「親死に、子死に、孫死に」がある。一休さん的にはこれこそ何よりも目出度いことなのだと云うわけだ。確かにそのように思う。年寄りから順番にこの世からおさらばして消えてなくなることが一番ノーマルな自然の循環である。これが何処かで逆転したりすると、気持ちの整理がつかなくていつまでもどこかしら心のしこりになって悔やまれる。年末にかけて届いた喪中はがきを読み返しながらそんなことを思っていた。
吉田家もひとまず末娘が成人してくれたし、あとは、なんとかして上手に彼らより先に死ななければいけないことになって、これから先の自分の目標が一つ増えた。

万善寺の寺務所にしている庫裏と本堂をつなぐ3畳の廊下部屋は、私が小学校の頃、高校生のお姉さんの下宿部屋になっていた。
当時は、自家用車も稀な時代で、国道はまだ改良工事前の砂利道だったから、唯一の公共交通機関である国鉄の定期バスも学生の通学に合わせて運行することもなかった。だから、遠方の高校生は寮に入るか町内の何処かに下宿するかどちらかしか選択肢がなかった。憲正さんが長い間民生委員をしていたこともあったのだろう、時々下宿を頼まれることがあった。当時の3畳は今よりももっと立て付けが悪くて、雨戸は板戸で隙間だらけだった。そういう部屋で彼女は寒い冬をコタツ一つで3年間よく辛抱したと思う。

寺務所のデスクワークが毎日のように深夜まで続くから、今はそのままそこにシュラフの2枚重ねで寝ている。
今朝は、寒くて目が覚めた。
かなり冷え込んでいるから、夜のうちに雪でも降ったかと外を見たら、保賀の谷一面が霜で覆われている。雪ではなくて放射冷却で冷え込んだようだ。明日から雨になってそれから雪に変わるようだ。今までの好天のツケが回ってドカ雪になりそうで怖い。

2017年賀状 (1)
IMG_3636.jpg

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