工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

一本道 

2017/01/16
Mon. 21:30

さて・・・そろそろ1mくらいは積もったかなぁ〜
萬善寺の周辺では、そのくらいの雪は毎年普通に降っていて、この近年は積雪量も減ってきている。数年に1度、ドカッと大量の雪が降って、家屋への重大な被害が及ぶ。
私が少年の頃は、毎年普通に今の2倍は降り積もっていたから、この半世紀の間に地球の気温が上昇しているということは確かだ。

物心ついてからの人の一生は、今頃の高齢者でだいたい70〜80年くらいだろう。
島根県の飯南高原くらいのことしかわからないが、こうして短期的に雪の積もり具合を見てみると、毎年同じように降り積もってまた溶けて、また降り積もってそれが溶けることの繰り返しが続いていて、50年前と少しも変わらないように見えるだろうが、実はその雪の質とか、降る時期のこととか、微妙な変化が続いていて、長期的スパンの変化はかなりなものだと感じている。

1月もすでに中盤を迎え、萬善寺的にも彫刻家的にも急に動きが激しくなってき始めた。
先週末から、1泊2日ほど寺を留守にしている間に、今回の大寒波がやってきて雪になったから、寺の庫裏で寒々と暮らす母親が寂しがって収集のつかないまでに平常心を失ってしまった。外泊の2日めの朝から私の携帯電話がなり始め、それが夕方に寺へ帰るまで続いた。私が、外で遊んでいるわけでも無いことはわかっているはずなのに、息子の都合は全くお構い無しだ。やっとの思いで、国道から町道へそれて、寺の参道下のお地蔵さんの脇へ結界くんを止めて、それから駐車スペースをスコップでかき分けて、一輪車に荷物を積み込んで、息も絶え絶えに雪中行軍をしながら参道を3往復している間も、電話が鳴り続けていた。2回めの往復の時は、吹雪の中、縁側の窓ガラスを開け放して何やら支離滅裂なことを吹雪に向かって叫んでいた。その後も、私がいなかった2日分の寂しさを取り戻すように何度も3畳の寺務所兼用書斎を覗きに来て、落ち着く暇もない。
まぁ、現在の母親はそれほど肉体は元気だということだ。精神の方は結構危ういけどね。

母親がまだ若かった頃(70〜80年前)は、毎日朝夕にカンジキを使って参道の雪を踏み固めて1本道を作っていた。あの頃は、自家用車なるものも無かったから、1本道が出来ていればそれで十分に日常の用が足りた。どれだけ大量に雪が降り積もっても、ただひたすらに雪を踏み固めるだけの1本道がそれぞれの家々から続いて、それがあちこちで合流して少しずつ幅広になって国道まで届いていた。
今は、萬善寺の隣の家が留守になり、前の家が空き家になり、上と下の家は一人暮らしになった。自家用車は、一家に1台以上になって、場合によっては一人2台あったりする家もある。除雪車が保賀の谷の一番端の家まで到着するのはだいたい夕方に近くなる。多少の不具合はあっても、昔に比べたら随分便利になっているはずなのに、一方で人口減少と高齢化が進む保賀の谷の冬は、どこかしら一年ごとに住みにくくなっているような気がする。
これから2回位雪が降って積もって消えて、3回目あたりが最後になるだろう。それまで、参道の1本道が萬善寺の暮らしの命の綱になるわけだ。
何か、半世紀過去にタイムスリップしたみたいだな・・ 

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