工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

3畳暮らし 

2017/01/27
Fri. 21:59

万善寺の3畳暮らしも、1ヶ月が過ぎた。
似たような毎日が過ぎているから、ブログネタも尽きるような気がしないでもないが、そのわりには夕食が終わって3畳に引き上げてマッタリとしたひとときを過ごしていると、その日1日の出来事も含めてそれなりに何かと思い巡らすようなこともあって、結局はそれが備忘録になってブログネタになってしまっている。

夜のうちに屋根からの雪ずりが続いていたから、それほど寒くないんだろうなぁと思っていたが、朝目覚めるとシトシト雨が降っていて、保賀の谷が一面霞に覆われていた。
こういう時は、降り積もった雪が一気に溶けて水っぽくなる。
この雪解けの水がその年1年の農作物の水源になるのだから、それはそれでありがたいことだし、万善寺の井戸水やボクのコーヒーの水源にもなっている。
雪深い寺に閉じこもって世間とそれなりの距離を置いて暮らすことに慣れてくると、それはそれで気楽に1日が過ぎて自堕落で怠け者の私にとっては捨てがたい日々になっている。
それでも、いくつか無視できないメールが入ってきたり、一ヶ月の自治会の事務が巡ってきたりして、完全な現実逃避までには至らないところが厄介なことであったりする。

万善寺の寺歴をまとめなければいけないことがあって、それを1月のうちに済まそうとしていて、この数日はそれにかかりっきりになっている・・・といっても、過去の資料が全く充実していなから、断片的に記録されている重要と思われる年代やその時の出来事や人物の姓名を拾い出して、それを手がかりに手繰り寄せる程度のことしか出来ていない。
歴史に詳しかったり、そういうことに趣味や興味があったりすれば、それなりに楽しくて張り合いのある仕事にもなるのだろうが、私の場合、どうもそこまでの気持ちの高ぶりもないから、集中が続かなくて困ってしまう。
それでも、闇雲に過去の資料をかき集めているわけでもないから、ここにきて幾つかの記録の断片が少しずつ繋がり始めてきたようにも思える。

万善寺は、今から約450年くらい前の開山であるらしく、飯南高原で記録に残っている寺社仏閣の中では、どちらかと言えば古くからの山号寺名が残っているほうのようだ。
宗派で言うと曹洞宗の禅宗だが、もともとはどうやら臨済宗から始まっているようでもあり、また、万善寺の口伝を信じるとやたらに加持祈祷絡みの法要が盛んであったらしいから、場合によっては天台宗あたりの密教からスタートしているかもしれない。
今の境内は3回目の移転であることが大体解っていて、もともとは保賀の谷の真ん中を流れる保賀川の水源にもなっている山の頂上にある神仏混合の聖域で開山されたようなので、そのことからしても、どこかしらなにかしら、密教系との繋がりがあったことだけは間違いないだろう。
調べていくうちに、毛利やら尼子やら、清和源氏が出てきたり、まぁとにかく際限がない。それに、一番厄介なのは、記述の漢字に当て字が多いこと。「音」を頼って手繰っていくしか無かったりして、面倒この上ないし、正しいのか間違いなのかもわからない。
どう考えても、ボクには彫刻を造っている方が向いていると再確認の毎日である。

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