工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

肝っ玉ワイフ 

2017/02/05
Sun. 23:42

石見銀山の町並みへ出ると、小雨が降っていた。
雪のカケラもない風景を見るのは久しぶりのことだ。

午前中の用事が終わったらワイフと二人で出雲まで出かけようと、昨夜寝る前に予定を決めておいた。
特に大事な用事があるわけでもないが、たまには意思の疎通も大事なことだ。
年が変わってから石見銀山やワイフの周辺の現状や、吉田家家族でオヤジ抜きの会話もそれなりにあっただろうし、まぁ、色々な出来事の情報交換も大事なことだと思ってのことだ。
出雲までの往復で車の中での会話が出来るというより、そのくらいのことしかやることもないし、後はどちらかが運転でどちらかが助手席で寝てしまうくらいのものだ。

ワイフは東京生まれの東京育ちで、その上、学生の頃にはほぼ私と結婚することも決まっていたから、正式な社会人として就職を経験することもないお嬢様のまま島根県で暮らすようになった。
私がUターンで、彼女はIターンということで、それが今から約35年ほどまえのことになる。
帰省した当時は仕事の関係で転勤族だったから、それから5回の引っ越しをして今に至っている。
私の信条として、仕事をさせてもらっている場所で住み暮らすことで、その地域の公私を含めたさまざまな付き合いも深まるし、良し悪し含めて地域の事情も見えてくるし、そのうえ自分たちの暮らしぶりや人柄も知れ渡るし、そういう、もろもろ悲喜交交の付き合いを共有しながら仕事をさせてもらうことはとても大事なことだと思っていた。
引っ越しが多かったのも、そういう理由があったわけだが、一方で、私と一緒に島根のアチコチを移動しながら、引っ越しのたびに一人ずつ子供を産んで都合4人の子供を育ててきたワイフの方は、それこそ生活の全てで必要に迫られて地域の付き合いが深まって、気がつけば私など足元にも及ばないほど島根県にどっぷりと浸かった島根県人として堂々と生きるまでになっていた。

私の留守の間にワイフワールドになった吉田家のテーブルで、ワイフへの委嘱状を見つけた。なんと、今では地域の民生委員や児童委員を仰せつかっていた。それに、まちづくりセンターの運営委員長とか、保育園の役員とか、やたらとたくさんの役職を抱えながら、その上石見銀山周辺の中学校3校をかけもちでの美術時間講師まで引き受けている。
携帯電話を持っているのに、何時電話しても出てこない不携帯状態だったり、たまに帰る吉田家が何時も留守状態だったりして、なかなか連絡が取れないことがやたらと多いのもわかる気がする。
そんな忙しい時間の間隙を縫って彫刻も制作しているわけだから大したものだ。

出雲の往復は濃厚な会話の時間になった。それに夕食の砂肝アヒージョも絶品だった。
改めてワイフの偉大さを確認した1日になった。

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