工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

オヤジ道中記〜東京都立美術館〜 

2017/03/18
Sat. 12:39

隔年開催の春季展へ先週のはじめに彫刻の搬入をすませたのに、もう搬出の日が迫っている。その搬出の方は、島根県彫刻界の新進気鋭ホープ作家周藤豊治氏が行ってくれる。

私にとって春の展覧会は、公私を含めて日程の調整がとにかく難しい。
作品発表の場が東京の美術館に集中することが多いから、島根県のように東京から1000km近く離れていると、こうして、何人かの同好の士が周辺にいてくれないと、年々歳を取る一方のヨレヨレ彫刻家としてはとても彫刻制作や展覧会を継続できるものではない。

最初の展覧会らしきグループ展に誘われて銀座のギャラリーへ作品展示させてもらったのが、確か22〜23歳の時だった。
その頃は、強い意志を持って何かしら作品発表を継続しようと決めていたわけでもなかったが、気がつけば毎年何かしらの展覧会らしき作品発表が続いていて、結局、この歳になるまでしばしも絶えることなく制作を続けることが出来ていた。
もう、ここまでくると自分のライフワークの一つと踏ん張ってみるのも良いかもしれない・・・と、具体的にそう思うようになったのは2010年の春だったと記憶している。

石見銀山が世界遺産認定登録されたのは2007年だったはずだ。
その2〜3年前から周辺がとにかく騒がしくなって、昼夜公私を問わず、何処かで何かの世界遺産認定に関連した会議とか説明会とか研究会とかイベントとかが開催されていた。
石見銀山のど真ん中で、それなりに緩やかなスケジュールをこなしつつ、つつましく静かに彫刻の制作や発表を続けていた私も、いつの間にか流行性感冒の熱に感染したかのように世界遺産の熱に飲み込まれてしまっていた。
それまで、普通に楽に石見銀山町内の好きなところへ彫刻を設置させてもらっていた(もちろん、地権者の承諾を得てのことだけど)し、町内で美術の展覧会が出来ていたのに、急に文化の規制が厳しくなって彫刻家の住みにくい町になった。
規制の根拠としては、過去の文化遺産を保存し後世に伝えるうえで、個人の文化活動が時代考証や地域文化伝承の妨げや弊害になる可能性が高いと判断されたわけだ。
個人の文化活動は趣味の延長とか大衆の文化祭くらいに留めておけばそれが妥当だくらいにしか認識されないことへのいきどおりを強く感じた。
彫刻の制作で、彫刻のかたちを借りて自分の今を表現させてもらっている私としては、そういう、一部の硬直した官民一体のまずは世界遺産保全ありき的不透明で希薄な寄生虫のような管理体制に対して、あくまでも自分の彫刻表現で抵抗するしか無いと決めて、現代彫刻小品展を石見銀山で立ち上げたのが2010年だったわけだ。

都立美術館がリニューアルオープンして、久しぶりに彫刻展示を手伝わせてもらった。
学生時代からお世話になっている思い出深い美術館だったが、ほとんど変わらない外見に対して、あまりにも大きく様変わりした管理システムには驚かされた。
美術館という器は、やはりそこに美術芸術表現をもって参集する作家の資質に、毅然として、且つ包容力を持って対峙するくらいの度量が欲しい。
石見銀山しかり都立美術館しかり、担板漢的類友の衆には心底疲れる・・・

IMG_5643.jpg
IMG_5654.jpg
IMG_5660.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/2596-bd7419ef
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2017-06