工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

母死す 

2017/04/01
Sat. 23:37

坊主をやっていると人の死について普通に冷静で客観的で感情の揺れが鈍くなってしまうようなところがある。
それでも、小さな子どもの死とかまだ働き盛りの若い人の死とか突然の事故死とか、そういう時の葬儀はなんともやるせなくてつらいもので、とにかく、最初から最後までキチンと自分が納得できるほどの強い意志を持って見送ることをしなければいけないと自覚しているつもりでもいる。

高齢者の死は、どこかしら当然のように避けることの出来ない死期がやってきて、或る日予告なしにそういう時がきても、親族をはじめ周囲の人々は九分九厘納得して粛々と見送ることもできるほどに心の余裕があったりする。
これがやはり人生のもっとも幸せで目出度い死といえるのかもしれない。
我が身のすぐ近くでそういうことがあると、多少の心の動揺はあるものの、やはりどこかしら死というものに平常心を持って付き合うことができやすいものだと思うこともあって、見送る方も心安らかであったりする。

3月のお彼岸を過ぎて彼岸あけを待ったように、私の母親が92歳で死んだ。
普通だったら何の問題もなく大往生で、ある意味目出度い部類の死を迎えたと云うべきだろうが、私と私の母の間にある「死」という事実には、いまひとつ納得できないわだかまりが残ったし、どこかしら自分の自分に対する負い目を意識せざるを得ないものになってしまった。
これからの私には、その一点が心のわだかまりとなって生涯ついてまわることであると自覚している。
そのわだかまりとは母を「孤独死」させてしまったということ。
誰にも看取られること無く一人で死んでいった母は随分と寂しい思いをしたことだろう。
常に頑固でプライドの高い人であった母ではあるが、何事にも強い人であったわけではない。
どちらかといえば、甘えん坊で寂しがり屋で、臆病者であったようにも思う。
そういう母が、息子の私に対してはとにかく素直になれない自分がいて、どうしてもどこかしら自分に正直でいられないところもあって、常にそのジレンマに苦しみながら息子の私と接していたような気がした。
そうであるなら、母は最後まで自分の意思を貫いて死んでいったとも言えるかもしれない。
つまり、私はこれから死ぬまで母を越えることが出来ないまま生き続けなければいけないということである。
そういう死に方をした母は、やはりとても強い人であったということである。
軟弱でワガママでナマケモノの私など、母の足元にも及ばないほどのケチなオヤジであるということ。

葬儀から初七日の法事は、3月の年度末から4月の年度スタートをまたがった。

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