工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

住職の居場所 

2017/04/06
Thu. 23:57

92歳で死んだ母親の葬儀が終わって1週間が過ぎた。
その間、幾つかの法事などを片付けながら万善寺の庫裏を中心に積年溜まり続けた過去をアレコレ断舎離し続けた。まだまだ始まったばかりで何時になったら終わるのか何時になったら片付くのか、まったく予想できない状態である。

もともと、彼女の夫であり私の父であり先代住職であった憲正さんは、自分の私物や仏具などの身の回りのものを人目に触れないようにきちんと整理して仕舞い込むタイプの人だった。その憲正さんの妻であり私の母であった俊江さんは、私からすると病的とも思えるほどモノを大事にして最後の最後まで使い続け、その用途が耐えると色々工夫して他の何かに改変してまた使い続けるといったタイプの人だった。
この二人が結婚してどちらかが先に死ぬまで連れ添って暮らしていたわけだ。
若い頃は身体も動くし、古くなってゴミになったりしたものを焼却したり廃棄したりしてなんとか身の回りを整理しながら暮らしていたが、年齢が増すとともにそれも難しくなり、その上行政指導の厳しいゴミ処理ルールが常識化すると、二人共とたんに生活思考の何処かがショートし始めて断捨離できなくなって、何もかも溜め込むばかりになってしまった。どちらかといえば小さくて狭い極小規模の末寺は、収納という収納へはどこもかしこも目いっぱいにいろいろなものが詰め込まれて、そこから溢れ出たゴミ同然のモノが庫裏の外の軒先まで溜まり続けるまでになっていた。

憲正さんが死んだとき、主を失って行き場の無くなった憲正さんの周囲の幾つかを整理してゴミ処理場へ持っていったことがある。
どう見ても使いみちもなくてゴミにしか見えないものを集めて処分したつもりだったのだが、その中に母親が大事に使っていたモノが幾つかあったようで、その後しばらくのあいだ私を見ると呪文や陀羅尼のように大事なモノを捨てられたと言われ続けた。憲正さんの葬儀に至っては、本堂の片付けで檀家さんが捨ててしまったものにまで恨み節が及んで、「もう、これは彼女の目の黒いうちは見て見ぬふりで当たらず触らず付き合うしか無いな!」と、それからあと私は、目も耳も口も、それに心も閉ざして庫裏を母親に渡した。

それから約2年の間、万善寺の庫裏に掃除を入れたのは寺の仏事と憲正さんの1周忌法要の時だけだった。
母親が死んでこの1週間を掃除や片づけに費やしている息子を見ると、親の思い出を次々に捨てる「まことに薄情な息子だ!」と思われているかもしれないが、万善寺のような小さな寺は、本堂は仏事の式場で、庫裏は式典参加者の待合室で方丈さん方の控え室であり、台所は飲食配膳の厨房となり、隅から隅まで公の場として機能することになるのだ。
そういう時は、住職の居場所も含め寺暮らしの全てを仏事に提供出来るということが、庫裏に暮らす者の生活のルールになって、そこに個人のプライベートは無い。

憲正さんが仕舞い込むタイプの人であったことは坊主として理に適った行為であったわけだ。私には、現住職として少しでも早く万善寺の庫裏を公的使用が可能な本来の施設に戻す役目がある。

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