工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

寺暮らし 

2017/05/01
Mon. 23:56

万善寺の片付けへワイフが参加してくれたので、境内の営繕草刈りで汗を流した。
母親が生きている時は、彼女のマメな監督のお陰で思うよに営繕作業が出来なかったので、1日中心置きなくマイペースの作務が出来た。

境内地と云っても・・・
参道下の六地蔵さんから駐車場とその脇の花木林。
庫裏の東は寺のお墓で西は田んぼから転作の母親の畑とその周辺。
北側に広がる雑木林の傾斜地と南側の石垣や用水路脇のあぜ道まで。
・・・とにかく私一人の作務では手に負えない程の広さだ。

私はどちらかといえばモノの無いシンプルな空間が好きな方で、少年の頃はとても広く感じていた万善寺の本堂や、テーブルと座布団しか無い庫裏の客間が気に入っていた。
あの頃は小学校でも定期試験のようなものが各学期に1〜2回はあって、その度にガランとした8畳の真ん中にある大きなテーブルを座机代わりにして勉強道具を広げていた。
一段落するとゴロンと仰向けに寝っ転がって、正面のふすまの上に掛けてある横書きの黄ばんで薄汚れた「日々是好日」の額をしばし眺めて気持ちを切り替える。
その日の勉強が終わると、全てのモノを自分の勉強机へ戻して、使っていた座布団を部屋の角へ重ねて磁器製の傘をつけた60wの電球の紐を引いて消灯する。
当時の寝室は、寺で云うところの方丈の間で、押入れとその横に親族のお仏壇。万善寺では母親の衣装箪笥に鏡台。それに憲正さんの衣を掛ける二枚折の衣桁だけのシンプルさ。
押し入れの上段に家族の寝具。下段に家族の日常衣類がしまわれていて、寝る時は部屋の真ん中へ布団を並べる。朝になると布団を畳んで押し入れへ仕舞えば元の何もない方丈の間に戻る。
中学校に入って、玄関上のロフトへ新調した腰掛け用の勉強机を引っ張り上げて、其処が子供部屋になって勉強も寝起きもその部屋で完結するようになった。その部屋は今でも寝室で使っている。

15歳から一人暮らしを始めて、食べることから寝ることまで暮らしの全てを一部屋で賄うようになるとアレコレ雑多なものが一部屋に集まるようになって、シンプルとは程遠い暮らしになって今に至っているが、両親の他界した今、半世紀ぶりに私が少年の頃の万善寺へ戻そうとしている。
あの頃は、寺の内も外も何も無くても特に不便を感じたことは無かった。水田にしても畑にしても、日当たりの良さを一番に考えて余分な花木は一切なく、春になって柿の木が葉を広げるとそれが日陰になるからと、冬の間に枝を切り落としていたくらいだった。

半日ほどの草刈りで、田んぼから転作した畑の原型が少しほど見えてきた。
晩年の母親は、春から秋にかけてこの畑で野菜を作っていた。
年々身体が動かなくなって耕作地が減少して、死ぬ前の年に耕作放棄が進んで荒れ地に変わって、やがて猪の遊び場になった。
昨年からの枯れ草がなくなった後には、新しく獣道が出来ていた。

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