工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家営繕作業〜草刈り 

2017/05/09
Tue. 23:26

石見銀山は朝から雨になった。

石見銀山の大森町町並みから銀山川まで続く土地へ20年ほど前に引っ越した時は、全面隅から隅まで細かく仕切られた畑だった。
ほぼ中央に桃の木が1本あって、畑が日陰になるからと横に広がった枝木はすべて切り落とされて、二股に分かれてYの字に上へ伸びてバランスの崩れた枝ぶりがどこかしら弱々しく寂しげに感じられた。
その畑の町並み側へ慎ましく建っていた廃屋同然の平屋を修繕して今の吉田家になった。
吉田家の大屋根が大森町の家並みに埋もれるように低いのは、それだけ建築時期が古いという証拠なのだそうだ。大屋根が抜けて青空が見える状態の家を修理するにあたって、奈良県の方からやってきたその筋の歴史的建築研究の専門家が調査してわかったことだ。
石見銀山の町並み全体は文化財指定の網にかかっていて、原則として更地にしてから新築することが出来ないことになっている。家とその真下の土地セットで中古車価格並に安く買い取ったものの、結局は改築工事の経費が膨大にかかって、終わってみれば、新築並みかそれ以上の費用がかかっていた。そのおかげで死ぬまで借金返済を続ける羽目になって今に至っている。
もともと私の書斎になっている四畳半は、江戸中期の文化文政時代に出来上がったということがわかっていて、黒く煤けた柱や天井板もその頃のものだということだ。
今は、その柱にインパクトで木ねじをねじ込んだりケーブルテレビの同軸ケーブルを這わせたりして、伝統とか保存とか、全く無視して使い倒している。

万善寺での暮らしが増え始めてから、吉田家内外の営繕が手付かずのまま放置されることが増えた。
移住してすぐの時に、以前暮らしていた家の庭先に植えていたウメやスモモやグミやビワなどの果木を裏の畑へ移植した。その後、ワイフの趣味の延長で次々と草木が植えられた。
もともと長い間畑で使われていた土地は栄養タップリで肥沃だから、移植の草木果木はスクスクと面白いように成長してアッという間に林になった。

現在の吉田家裏庭は、荒れ放題の雑木林的状態になっていて足の踏み場もない。
だいたい、1年に2〜3回は草刈り機を振り回しているが、その度にワイフが大事にしている草花も一緒に刈り倒してしまうものだから、「そろそろ裏の草刈りしておいてくれない♡」などと、依頼する時は優しげなのに、ひと仕事終わった後はやたらと機嫌が悪くなって、だいたいいつも叱られている。
毎年同じような展開が続くと、最近はもう慣れてしまって、ワイフを無視して都合よく自分の良いように刈り取ってしまう。どうせ何やっても叱られるのはわかっているからね。

1日、雨に濡れながら混合油の切れるまで草刈り機振り回し続けたが、結局最後まで刈り切ることができなかったから、日を改めて仕切り直しになった。
この時期には珍しいほど冷え込んだから、夜になってストーブに薪を投げ込んだ。

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