工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

実践!オヤジのルール 

2017/05/14
Sun. 23:04

次女のノッチが、春の大型連休を1週間ずらして帰省してきた。
石見銀山で5日間位のんびりしたあと、夜行の高速バスで東京へ帰っていった。
早朝にバスタへ着いて、自宅へ寄ってから会社へ出勤する。

吉田家の4人の子供たちは、末娘のキーポンが保育士になって働き始めたので、全員が社会人になって独り立ちしてくれた。
長男と末娘だけは18歳まで吉田家で暮らしたが、長女と次女は15歳から吉田家を出て一人暮らしをはじめた。
子供たちへは、学校が終わるまでは親の援助が必要だから、その支援内容に見合うくらいの口出しはさせてもらおうと密かにオヤジなりのルールを決めさせてもらっていた。結局は、稼ぎの悪いニートオヤジの支援など無いに等しいことだから、気がついたら子供たち一人ひとりがソコソコ自活して、ひとまずは自力でメシを食べながらそれぞれの学校へ通ってそれぞれそれなりの学生時代を経験して卒業してくれた。だから、4人共すべてバラバラの仕事をしていて全員がバラバラに暮らしている。今年に入ってからは、私の寺暮らしがいっきに増えたから、親も子も吉田家全員がバラバラに一人暮らしをしているようなふうになった。

オヤジのルールとは、大それたものでも何でもなくて、「アルバイトなどで働く時は飲食業などの水モノ職業を探せ!」というだけのこと。
要するに、「稼ぎは悪くてもメシには困らない」ということ。
これは、まったくもって私の経験に基づく根拠があるだけのことだから万人に当てはまることもないだろうし、アルバイトに頼らないでも楽に暮らせる青年もたくさんいるだろうから、完全に吉田家オリジナル吉田家限定のルールであると思っているが、4人の子供たちは4人共ソコソコ忠実にこのルールを実践してくれた。
中でも次女のノッチの就業遍歴は筋金入りで、ことごとく水モノ職業を渡り泳いでいる。
始まりは喫茶店のホール。ここでは、時々消費期限の迫ったケーキなどをもらって帰ってきていた。
高校の時はラーメン屋でアルバイトをしようと探していたが、おじいちゃんの反対で断念。
大学の時は、居酒屋のチェーン店。結局ほぼ4年間続いて、贅沢なまかない飯で腹を満たしていたらしい。
国外脱出して働いていたシンガポールは日本食焼肉レストランだったから、食いっぱぐれナシ!
帰国してしばらくは、なんと◯◯のおいしい水なる、家庭用飲料水をコンテナ販売して関東一円を回っていたこともある。
今は、20代で起業した若社長の下で事務経理を任されているようだが、かなりの確率で食事に誘ってくれるらしい。
そして、今年の8月からは1年間フロリダのオーランドにあるエプコットの日本館レストランで働くことが決まった。
この就職活動がなかなか強気で面白い。未だに吉田家のノッチネタで話題に登っている。

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