工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ボクの誕生日 

2017/05/21
Sun. 21:37

改良衣に雪駄の完全なる坊主スタイルでいるところへ「先生!」と声をかけられた。
自分のことではないだろうと気にかけないでいたら、また「先生!」と呼ばれたので、それで自分かもしれないと自覚した。
法事の席でもない公共の場で坊主スタイルのまま行動することもよくあるから、そういう時の出会いは、だいたい「方丈さん!」とか、「万善寺さん!」とか呼ばれる。だから、そのスタイルの私に向かって「先生!」と声をかけてくる人はそうめったにいない。

声の主は、寺の近くの小さな町に住んでいる人で、それこそ、私がまだ先生と呼ばれる仕事をしている頃に地域の文化祭を盛り上げようと頑張っていらした方だった。
石見銀山がまだ世界遺産登録の話など全く無かった頃に、銀山の谷のアチコチへ自由勝手に彫刻を置いてゲリラ的個展をしていた事があって、それが珍しかったのか、地方新聞の取材で記事になったこともあったものだから、それがきっかけになって「せっかくなので、地元出身で活躍されていらっしゃる先生に是非本物の彫刻を展示してほしいのです!」と、その方から熱心な文化祭への出品依頼を受けて、特に断る理由もないし、せっかくだからワイフの彫刻も一緒に展示することになった。
結果として、我々の彫刻は前衛が過ぎたようで、その時一回だけの文化祭展示で、その後の継続は無かった。それでもあの時文化祭へ誘っていただいた縁で、その後、地域の公共施設と小学校と高校へ私の彫刻を設置する機会を得た。
そういう経緯もあるから、いまだにあの時の関係諸氏にとって、私は「先生」として存在しているのだろう。

たぶん、吉田家次女のノッチより少し年下だと思うが、大学を卒業して学校の講師をしながら彫刻を造り始めた娘がいる。
初めて合った時はまだ彼女が学生の頃で、教育学部美術の彫刻研究室で木彫を勉強していた。現代彫刻小品展のワークショップ講師にその研究室の先生をお願いした関係で、学生だった彼女も助手でついて来た時が最初の出会いになる。
昨年に現代彫刻小品展会場で再開して彫刻の話をした時、「小さい木彫でも造ってみたらどうだい?」と誘ってみた。それが、彼女にとって良かったのかどうか、すぐに抽象の木彫を造り始め、それからお互いに少しほど彫刻へ踏み込んだ付合いが始まった。
4月になって彫刻の相談があって、小さなマケットを造ってきた。
「もしもし、吉田さんですかぁ〜、◯◯ですぅ。今、お時間よろしいでしょうか?」
体調でも悪いのかと心配するほど弱々しい声で電話が入る。チョット意識してもう少し♯がかって声質を上げると良いと思うんだけど・・そのあたりのデリケートな線の細さが若干気になっている。
制作の場所が見つからないと云うので、万善寺の庭先を使えと提案したら、私の誕生日の日から制作に通うようになった。ある意味、忘れられない記念日になった。
さて、彼女の彫刻制作は本物になっていくのだろうか??

キーポンから、初給料のあとサンダルが届いて、今、大事に履いている。
今日、長女のなっちゃんから少し遅れた誕生日プレゼントが届いた。大事に使います!!

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