工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

作務の日々 

2017/05/22
Mon. 23:27

午前中は用事で出雲へ出た。
石見銀山からだと太陽に向かって走ることになって、やたらと暑かった。
いろいろと用事を済ませて、比較的大きな業務用のスーパーへ寄った。
ワイフが、カートいっぱいに買い物をして、ダンボールの空き箱2つにもなった。
帰宅すると、珍しくクロがモタモタと土間を歩いてくる。朝からそのまま寝続けていた様子だ。
買い物などの荷物を結界くんから下ろして、そのまま万善寺へ走った。
飯南高原の田植えはほぼ終了した感じだ。
前日の夕方に補充しておいたおすそわけの古々米が殆どなくなっている。
境内のアチコチで鳴いているスズメたちの数が増えている気がする。
つなぎの作業着へ着替えて、草刈り機に混合油を補充して刈り残しの続きから営繕作業を始めた。
今週から月末にかけて近所のお寺の大般若会が続く。膝を痛めていて正座ができないから、安静に休んでおいたほうが良いと思うがそうもいかないし、なかなかつらい。

万善寺は禅宗の曹洞宗の末寺になる。
禅宗というと、一般には座禅の仏教だと認識されていると思うが、実は、一日中座禅してお経を読んでいるわけでもなく、どちらかといえば色々な作務で忙しく動き回っていることのほうが多い。
宗派によって幾つか違った寺のタイプがあるが、ざっくりと大きく分けると、檀家さんとの葬式仏事関係で寺の経営を維持する檀家寺と、決まった檀家を持たないで年中行事の加持祈祷や参拝お参りの客収入で寺を維持する祈祷寺になる。明治新政府の廃仏毀釈による宗教改革前には寺領からの収入で寺の経営を維持することもあって、特に檀家数に頼らないでも、小作からのソコソコの上納収入があれば、修行僧の食い扶持くらいなんとかなっていた。朝夕に座禅して昼は寺の経営に働くという、会社的な組織が出来上がっていたわけだ。
もともと万善寺は琴引山の頂上にある神仏混合の聖域にあった。
祈りの聖域で暮らす僧侶はだいたいが自給自足の暮らしをしながら修行に励むことになるから、開山当初は加持祈祷に重きを置いたタイプの寺であったと想像できる。
開山の施主は、飯南高原一帯に点在する幾つかの豪族の一つであると記録されている。
その豪族の発願によって、当時銀山街道沿いにある谷の一つへ大きな僧堂(全寮制の坊主の学校のようなもの)を構えていた曹洞宗のお寺から、今で言う学校の教頭先生クラスの立派な方丈さんを開祖に迎えて建立されたのが万善寺の元になる寺だった。
万善寺という寺の寺名は、発願の施主さんが晩年「万善寺殿」と呼ばれていたことに由来し、龍雲山という山号は、万善寺何代目かの大方丈様に雲龍という道号の方があって、その方丈様以降より曹洞宗龍雲山万善寺という寺名が完成したようだ。
寺の墓地には歴代住職墓石の他に二十余基の亡僧墓があるから、過去には、寺に暮らし寺で働きながら修行していた僧侶がそのまま寺で入寂されたという様子が伺える。

今、その墓地へ上がる参道の周辺で草刈り機を振り回している。

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