工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

行間を読む 

2017/05/24
Wed. 23:15

今の吉田は坊主80%、彫刻家20%くらいの生活をしている・・・と感じている。
坊主といっても、ほとんど、毎日万善寺の境内地内外をアレコレつついているだけのことだけどね。

今から30年以上前の吉田は彫刻家80%くらいで暮らしていたことがあった。
ワイフと結婚して島根に帰った頃で、学生時代の満ち足りた制作環境から、手持ちの電動工具も何もない社会へ放り出されたような状況で途方に暮れつつも、制作への執着捨てがたく、色々模索していた時期であった。
制作の方向性は、まだ全然固まっていない状態だったから、「何を表現したいか」というより、「何が表現できるか」をセッセと考えていた。
結局、自分の身近にある色々な素材をかき集めて、必要最小限の道具で出来る「なにか」を造ることからはじめた。
その「なにか」は、ある時は平面であったりある時は立体であったり色々だったが、そうしてみると、島根で「なにか」を造る環境は、圧倒的に平面へ偏っていると気付いた。油彩にしても日本画にしても、絵の具から筆から各種道具まで、「平面のなにか」を表現するには何の問題もなくすぐに始められる環境があった。
一方、立体の方はなかなかそういうわけにいかなくて、かなり苦労した。

いろいろあって、ひとまず抽象の立体へ落ち着きつつあったが、まだ本格的に「これが抽象彫刻である!」と明言するほどの自信がない。
そこでまずは、「そもそも、抽象とはナンゾや??」から始まって、その後約10年間、ひたすら地味にコツコツと地味な抽象らしき造形を造り続けた。
あんなつまらない観念的な彫刻(のようなもの)を造り続けていた私を見捨てないで、しぶとく拾い続けてくれていたものだと、二紀会彫刻部に感謝している。
・・・とそんなわけで、この春先から万善寺の庭先で杉の丸太を彫り始めた娘をみて、当時の自分を思い出したりして、それなりの感傷に浸りつつ草刈り機を振り回している今日此頃なのです。

それで、思い出したことがある。
昔のことで正確ではないが、アメリカの文化人類学者でE.T.ホールという人が、「日本人は、抽象的な言葉で表現することが出来る」ようなことをいっていると雑誌か何かで読んだ覚えがある。その時に、これは、「行間を読む」というヤツだな・・と解釈して、なんとなく一人で解った気になって、「抽象とはソレなんだ!」と思うことにしたら、気が楽になった。
石見銀山で初めて個展をすることにしたのも、きっかけは抽象の表現に対する自分の気持が少し整理出来たからだ。

永代供養墓の文字で「雲従龍」「両忘」「風従虎」の3つを用意しようと決めた。
それぞれに、自分なりの意味があるが、3基の自然石の構成も合わせて行間を読んでもらいたい。

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