工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

悪魔のように大胆に 

2017/06/27
Tue. 23:32

万善寺庫裏の水回りと、座板の工事がひとまず修了した。
だいたい1周間はかかっただろうか?その間、普通に法事はゼロ!
もうそろそろ6月も終わりになるし、早速水回りの請求も届いて、1ヶ月の収入を合計するまでもなく、完全なる大赤字となった。

先日、彫刻の企画を進めることで奥出雲町へ出かけた。
ちょうど梅雨らしく小雨も降って外仕事も休むしか無かったから、午前中に用事を片付けて午後から移動出来るように計画した。
まだ、その時は大工工事の最中だったから気がつけばすでに大幅に時間がずれて夕方になっていた。
奥出雲町へ窓口でお願いしているOさんと待ち合わせの時間を調整し直して、小雨の降る中国山地の山道を東へ急いだ。

Oさんとは半年ぶりの再会になったから、打ち合わせが終わってから濃厚で且つ他愛ない世間話になった。
そうこうしているうちに、鳥取県の西の端で制作を続けている平面の作家が訪ねてきた。彼女は島大の新井研究室を卒業していて、その後、学校の先生を続けながら絵画を描いている。
新井さんは、確か私と同じ年だったと思う。
最近の作風には、年齢を感じさせない軽やかでさり気なく清涼感が漂いつつも、ベースには混沌とした生臭さが見え隠れしていて、一度観たらいつまでも記憶に残る深みがある。
基本的に平面の作品だから、実材の持つ頑強な素材感からズゥ〜〜っと遠いところで造形表現が組み立てられている。彫刻のことばかりでモノを考えて悶々としている私にとって、彼の制作表現は観ていて飽きない。
彼女は、そういう師匠に師事していたからだろうか、どこかしら新井さんと似たような作風を感じて少々気になる存在である。
ただ今の彼女には、平面造形に昇華するテーマの立ち位置がまだ安定していないような気がしていて、造形の内側に内在する危機感とか緊張感を感じられないままでいる。

センスでモノを組み立てることに頼っている間は、どうしても客観的な表現の最終的な完成度が下がる。
作家歴の浅い時期は、完成度の低さをそのときどきの勢いとノリで凌ぎ続けて場数を踏むことも大事なことだが、それをいつまで続けるわけにもいかない。
ある時には、踏みとどまって踏ん張ることもしなければいけないし、それをするためにはテーマのベースをブレないものにしておく必要がある。
一方、あまりに一つの表現にしがみついていると、自分で気が付かないうちにその呪縛に捕まって抜け出せなくなっていたりする。観るものを圧倒する熱い表現が必要なこともあるが、やはり表現に大事なのはヒトの感動を引き込むくらいの求心力を持たせることだと、私は思っている。
黒澤明さん曰く、「悪魔のように大胆に、天使のように繊細に!」というヤツかな・・

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