工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

半夏祭りin赤名 

2017/07/01
Sat. 23:16

半夏(はんげ)というと、坊さんのあいだでは、夏安居(げあんご)という夏の修行期間のちょうど真ん中の日をいう。
だから、本当はナンチャッテ坊主のボクも日常のだらしない暮らしから遠ざかって、山にこもって静かに心ゆくまで修行三昧・・・なんて感じで暮らしているはずなのだが・・実際はそういうことなどありえないことで、島根県の田舎の末寺山寺は日常の草刈りやたまの法事や地域の付き合いなども普通にあって、それなりに忙しくドタバタと暮らしている。

飯南高原の広島県県境に接するあたりは、戦国の激戦地であったし、広島方面から出雲大社へお参りする参詣街道と石見銀山の銀を陸路運搬する銀山街道の分岐点になっている。
その分岐点の町を、「赤名(あかな)」といって、今は役場庁舎も新築されて地域行政の中心地でもある。
私が子供の頃から、毎年7月の節句「半夏」になると赤名の町並みを車両通行止めにして「半夏祭り」が行われる。
寺の少年の私には、その半夏祭りが1年の中で唯一と言っていい最大の娯楽であった。
それはなぜかというと・・・
盆に正月にお彼岸は寺の行事が忙しい時で、夏休みと冬休みと春休みは学校は休みなのに、私は寺の手伝いへ駆り出されて遊ぶどころの話ではない。5月の連休は春の田仕事で、秋彼岸やお地蔵さんの日は稲の刈入れで手伝わされたりして、とにかく、今思うと一年中楽しく心置きなく遊び呆ける祝祭日などほとんどなかった。
その中で、半夏祭りは万善寺の行事が無くて自由にできる数少ない娯楽日であった。

昔は、それこそご縁日で日にちが曜日で動くこともなかったが、島根県から離れている間にいつの間にか7月の第一土曜日と日曜日の2日間に変更されていた。
それがまたしばらくして土曜日の1日だけのお祭りになって今に至っている。
吉田家に長男が誕生し、その後三姉妹が生まれて育つ間は、彼らの学業もあったりして落ち着くことが無かったから、気がつけば半世紀近く半夏祭りから遠ざかっていた。
そのうち、憲正さんの病気療養が日常化して万善寺と石見銀山の往復が頻繁になってきて、その頃から地域の回覧板などで半夏祭り情報が入るようになったから、祭りや花火好きのワイフと、吉田家に残っていた子供を連れて赤名の町へ繰り出すようになった。
一時期は、客足も遠のき、祭りも閑散として寂しくて暗い祭りの夜になっていたが、近年は、吉本興業からメジャーなお笑い芸人が最低一人はやってくるようになって、それを目当てにお客さんが少しずつ増えて来た。
吉田家の方は、子供たちも全て独り立ちして夫婦の二人暮らしになったから、ワイフの事情が調整できないとワザワザ一人で出かける気にもなれないし、若干気持ちがそれていたところへ、彫刻見習いちゃんが万善寺へ寄宿するようになったから、今年はその彼女をお笑い芸人を餌に引っ張り出して半夏祭りへ繰り出した。
同業のお寺へ訪問して、方丈さんと一杯やりながら花火見物をしたあと、夜店の並ぶ町並みへ繰り出し、ライブを楽しんだ。
今年のお笑いは「小島よしお」さんで、地元の子供たちの心をガッチリと掴んでいた!

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