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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

8月の坊主 

2017/08/04
Fri. 23:17

「これからさき、こういうことが度々あるんでしょうかねぇ〜」
「さぁ〜、わからんけど・・・できるだけ都合つけて帰ってきてほしいものですなぁ〜」

隣町の方丈さんが現役住職のまま遷化されたのが7月に入ってすぐの頃だった。
自分の近所でこういうことがあると、寺の付き合いとか宗派の付き合いとか、世間在家とは違ったところで不具合が生じて、それが元で少しずつ自分の日常の暮らしを侵食して、なんとなしに何処かの歯車が噛み合わなくなって、ぎこちなくアタフタと落ち着かない。

8月に入って棚経がはじまった。
万善寺は、飯南高原の端から端まで昔からの付き合いを中心に最盛期で200軒以上の棚経を続けてきた。
前住職の憲正さんの若い頃は、松江にある師匠寺の棚経も手伝って、お盆が終わるまでのひと夏で1年の生活費を稼いでなんとかしのいでいた。
私は小学校へ上がる頃から憲正さんに付き合ってアチコチ引き回されて、高学年では、飯南高原の町内のお宅をだいたい覚えるまでになっていた。中学生になって自転車通学がはじまってからは、自分の行動範囲も随分広がって、その頃からほぼ自分一人で棚経全般をこなすくらいになった。
私が住職を引き継いだ後、この10年の間にいっきに軒数が減って今年は遂に50年前の半分以下に落ち込んで、かろうじて3桁をキープできるほどになった。

例年と同じようにこの棚経をスタートさせた日に、遷化された方丈さんの代行でお葬式の導師を務めることになった。
葬式はあらかじめの予定が立たないから、自分の都合を優先することができない。
棚経をキャンセルするわけにもいかないし、無い知恵を絞って見た目は平静を装いながら絡み合ったスケジュールをほぐしていくしかない。
そのお寺には、お弟子さんで副住職の息子さんがいらっしゃるのだが、彼は一方で松江のお寺の住職でもあって、もう数十年も前からそちらのほうが優先の暮らしが続いている。
この度も、枕経と戒名を決められた後、万善寺へそれ以降の葬式仏事全てを託して松江の寺へ帰っていかれた。

授戒から入棺、出棺、荼毘と続き、副導師の依頼までを2日に渡って務めて、通夜が終わってからあとの坊主控室で愚痴にもならないつぶやきへ先のひと言が返ってきたわけだ。
「ほんに、この町もこういう状態ですからねぇ〜」
昔は町家がビッシリと軒を連ねて、バスの走る本通りから通りひとつ横に入るのも町並みが切れる枝道まで大きく迂回しなければいけないし、棚経も自転車でないと庭先まで入れないほどだった。今は、本通りから裏通りが普通に見渡せるほど空き地が増えて、町並みが歯抜けになっている。
過疎の進む町のそのお寺は現役住職遷化の後はそのまま無住になるようなことを聞いた。
檀家さんへ維持管理を任せて、必要に応じて葬祭会館で使用されることになるらしい。
随喜坊主の頭数も狂ってしまいそうだし、頭痛のネタが増えた。

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