FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ささやかな夢 

2017/09/06
Wed. 23:17

万善寺の用事をしている間にワイフが土間の写真を送ってくれた。
何時もながら棟梁の仕事は早い。
クロにはかわいそうだが、これで脱走の確率がかなり減ったはずだ。
・・・と同時に、私のギャラリー再開の確率が少し上昇した。

ギャラリーというと、もうかれこれ10年ほど前になるだろうか?
石見銀山の町並みに面したひと部屋を彫刻やクラフトの展示ギャラリーにしたくて、仕事の合間を調整しながら少しずつ部屋の改修を始めた。
吉田家の半分は文化文政年間の建築だということが専門家の調査でわかっている。
残りの半分は大屋根で繋いだ別の建物になっていたようで、こちらの方は華奢な掘っ建てのような造りだったから、「たぶん何かの作業小屋として使っていたのでしょう・・」ということだった。
吉田家入居のための改築前は、ギャラリーにしようとしていた部屋の床を取り払って駐車ガレージになっていた。
まだ世界遺産登録前の頃だったが、伝統的建築群保存指定地域になっていたから、改修工事をするにあたって文化庁の調査が入った上、建設当初の様子に復元をするということが条件になっていた。
今思えば、床をとってガレージにする時、もっと使い勝手の良いように縦柱の場所をずらしたり出来たと思うが、当時の居住者はそこまで大げさに改修することもないと思っていたのだろう。私としては、そのままガレージに使いたくてそのままの状態を残してほしいと思っていたのだが、奈良県の方から専門家が来たり、行政建設課の一級建築士から街並み保存を優先した外観の図面を提示されたりして、家主の意向は軽くスルーされた。

今の吉田家に限らず、石見銀山の間歩まで続く約3kmの道筋に面した家並みは、こうしてことごとく国の指導に沿った改修をされて、今では電柱も取り払われて江戸時代を中心として昭和に続く時代の変遷を見ることの出来るテーマパークのような町に変わった。
実際、そういう所で日常の暮らしを続けている住民にとっては、暮らしが便利になるどころか益々不便になって、観光客の視線を避けるように町並みの建具が一年中締め切られたままになっていたりする。
私がギャラリー開設を計画したのも、自分の暮らしを出来るだけ開放して、風通しの良い住まいにしたかったからだ。土間玄関を開け放し、そのとなりのひと部屋の建具を取り払い、大小の彫刻や絵画などを展示して店番をしながら小物を造ることを約1年半続けた。
少しずつ常連さんも出来始め、クラフトの注文も入り始めた頃、前住職の病気が深刻になりはじめて、寺務の停滞で周辺寺院やお檀家さんへ迷惑が及ぶようになって・・・まぁ、そういう避けて通れない時の流れに我が身を委ねるしかないことになって、晋山式の大げさな仏事もしないまま密かに住職交代をすませた。通勤坊主が本格化したのもその頃からだったが、当時は万善寺の仏事より前住職通院のお伴の方が忙しいくらいだった。
ギャラリーをクローズすることに決めたのは、お客様に失礼をすることが増えたからだ。
今はあの頃に比べると自分のペースで動けるようになった。そろそろ自分の先行きも見えてきた気もするが、もう一度仕切り直しでささやかな夢を見てみたい気もしている。

IMG_0769.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/2750-67bd315f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2020-05