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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

道楽を極める者 

2017/10/14
Sat. 23:06

「そろそろ、道楽もたいがいにしてお寺のことで頑張ってもらわないといけませんがねぇ〜」
今に始まったことでもないが、何かにつけて前々からそのようなことを檀家さんに言われながら、結局は住職交代もして、「寺を守らにゃぁいけんけぇ〜」が口癖の母親が死んでからは万善寺を1週間と連続して留守にしたことがない。
それこそ、名実ともに「住職」を務めていることが増えたが、だからといって母親のように寺の庫裏の一部屋へ根が生えたように引きこもっているわけでもなく、昼の間は坊主家業で留守がちの「無住職」だし、夜は彫刻家の吉田に変身して石見銀山を拠点にすることも多いから、どちらかといえば「通勤坊主」の暮らしが常態といっていい。
たぶん、私のそのような居所の定まらない暮らしぶりを見るか聞くかして、自分の意に沿わない不満が「道楽」のひと言に集約されているのだろう。

そもそも、「道楽」とは、仏教に語源があって、今で言う世間的な意味合いとは解釈も違ってなかなか高尚で有難く、仏門にある私などはそれを目指すべきこととして大事に思わないといけない生涯の目標とか指針のようなものであったりする。
いちいち理屈をこねてそのようなことを反論しても、正しいとか正しくないとか、対立のもとになって、これも私としてはよろしくないところに結論が落ち着きそうだったりして都合が悪い。
まぁだいたいが、モゴモゴと口の中の曖昧な言葉をツバと一緒に飲み込みつつ、ニコニコと笑顔で首を縦でもなく横でもなく微妙に曖昧に振って切り抜けることにしている。

ついでだが、「極道」も仏教用語で時代時々の高僧は「極道者」と賞賛され崇められたりされるときにもちいられたという、ありがたいお言葉であったのだ。
世の中が変わって、時代の流行や風習の変化にともなって、本来の大事な意味を持ついろいろな物事がねじれ曲がってしまうと、なかなか元に戻れなくなってしまうということは、とても悲しいことだと思う。
現在の私など、「道楽を極める者」と言われているようなもので、身に余るほどの光栄なお言葉をいただいて、ナンチャッテ坊主のヨレヨレオヤジは幸せ者であるのだ!

秋らしく爽やかに澄みきった雨後の半日ほど夕暮れまでそのような都合の良いことを思い巡らしながら、今年最後(・・にしたい)の万善寺草刈りを続けた。
オヤジの一人飯で湯豆腐と残り物のアレコレをツマミに一杯やったあと、インターネットラジで見つけたアラブ音楽を聞きながら「とみ山彫刻 field art work」の回覧チラシをまとめた。アラブ音楽はけっこうマイナー・コードが多くてどこかしら意外だった。やはりシルクロードは東の果ての日本まで続いているのだ。
チラシの草案は余裕をもって完成していたのだが、その後、出品するとかしないとかの作家とのやりとりが手こずって、島根の若い木彫作家グループが最後まで揺れた。
若い作家には、こういう造形とか制作とか発表とかの活動に優柔不断なほどの曖昧さがあることは大事なことだと思う。あまり早うちから自分の世界が固まってしまうのもつまらない。

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